◎風物詩、イベント (写真はクリックすると拡大されます)

【11月】さつま町、時吉区公民館親子駅伝競走大会 2020.11.22(日)

「コロナを吹き飛ばせ!」の基、最近殆どのイベントが自粛される中で「時吉区親子駅伝競走大会」が果敢に行われた。第36回であり昭和601985)年に始まったことになる。当時は皆若く大人中心であったが、時の流れに対応し、在り方を工夫・協力しながら現在は「親子駅伝」と銘打って「子供」が主力となっている。小さな集落ではあるが、土着と言うか先祖代々暮らしてきた方々の集落であり、36年もの歴史を紡いできたのは立派であり誇りでもある。他の行事にも言えるが「推進・原動力にパワーがあり」「団結力が強い」のだと思う

住宅部と田んぼ道3km弱を3走区に分けて4週するコースである。5チーム×13人の65人が周回するので、応援もし易くなっている。今回も4班の中から5チーム出場であり、できるだけ多くの人を出走させたい意図が感じられる。出場制限で該当者がいない場合は、出身者の地区外在住の家族も参加OKである。幼児も1区画を2人で走る走区もあり、これは見る人にとってはかわいくも微笑ましくもあり、ようやく走る幼児に誰々のお孫さんとかガンバレの声援が飛ぶ。親御さんにとって小さくも大きな決心があったと思うが、親子共に「初デビュー」であったり、しっかり責任を果たしたことには「よく頑張った!」と我が子の頑張りを見直しただろう。順位やスポーツの「闘争」の中にも、こういう面も良いのだと思う

中継所でカメラを構えていたが、小学生や観客の様子を窺っていると、楽しさや緊張感、チームメイトの応援、親御さんの選手の世話、役員の職務を果たす責任感などが伝わってくる。走って来た人の表情を見ると、やはり責任を果たしたことの安堵感、達成感、或いは本領発揮もあり残念な念もあるかも知れない。中でも、中高生や若者の走りは元気さやフォーム、ストライド、ピッチも様になっており速いと感じる。素人の私にも走りっぷりは良く解る。逆に壮年選手は、過去との実力の不一致感も感じるが、この人は練習を重ねたなとも感じる(足<太もも>が良く上がっている)。選手には失礼ながら見る側は誠に面白いとも思うが一生懸命さには敬服する

途中で小雨が降ったが、長い距離を競走で疾駆するのは大変なことである。この中を走りぬいた幼児、子供含む選手たちは良く頑張り、「貴重な時」を過ごしたと考える。自分への自信と共に、るさとへの愛着や「時吉魂」が醸成されたのだと思う。祝!!全チーム完走、優勝の向江Bチーム  ビデオはこちら>>

【10月 さつま町令和3年度観光カレンダー】 2020.10.4

さつま町観光特産品協会の「さつま町アッピール」の一環で毎年観光カレンダーを作成している。文化懇談会と直接的な関係はないが、管理人の私は「写友会」に所属しており、さつま町の文化・歴史を発掘・発信することに通じることであり、本会の活動テーマと合致している。今回は、モデルさんの許可を得たうえで掲載したい 

 

104日に2022年度用としてこの日さつま町在住、出身のモデルさん二人を招いて撮影会をおこなった。この日は写友会と県庁写真部の方々と一緒にポートレートを撮り、午後からはモデルさんとともに「小牧醸造」「北薩広域公園」「紫尾温泉・くすのき荘」のロケーション撮影を行った

午前中のポートレート撮影で感じたことを若干述べてから本題に入りたい。私はアマチュア写真家の末席を汚す身で学ぶところが多々ありました。まず、モデルさんたちはプロであり、表情やポーズの決め方、対応が非常に上手だと感じました。服装や背景やこちらの要求に素早く、引き込まれるようにいくつもシャッターを押してしまう。県庁の方々の装備や照明、構図、カメラワークも“なるほど”と細かく対応していると感じるところがありました。今回の撮影会は私にとって非常に刺激がありプラスになりました 

 

カレンダー用の写真は、何と言っても「さつま町を代表するような写真」、「さつま町に行きたくなるような写真」、即ちさつま町の魅力を表現することが主眼である。ポートレートは「人物の美の引き出し」であるが、ロケーションでは「場所と人物の魅力」をどう引き出すか、である。これには自分達の感性、フィーリングの加え、モデルさんの表情、ポーズ、構成などとコラボして「どう撮るか、何を伝えるか!」が問われる。これは、大略はあるものの具体策はその場に行かないと決めることができない。提出した写真は選考して決められるが、選考する方々は写真と専門的に関わった方もおられるが、「芸術性より一般人の目、感性」で選ばれる要素が強いと思っている。ただ、選考にもれても個人的な好みとは一致しないことも承知の上である

 

今回は北薩公園について記述します。まず竹林公園で撮影。日本的庭園と竹林面積が有数のさつま町。竹林の前、東屋、武家門風の門、三連棟茅葺屋敷などで撮影する。それぞれ気に入ったものがあるが、武家門と茅葺屋敷を背景にした写真を紹介したい。武家門前での写真は、すっきりしていることと女性二人との構図が良いと感じている。見る人へのメッセージは、その時漠然と感じていたことを改めて考えると「古きとちくりんの里と現代女性」。茅葺屋敷前は、昭和30年代までは存在した懐かしい家と自然は郷愁と古き時代を誘う風景。タイトルキャプションは「郷愁への誘い~過去へのタイムスリップ」。さて、急遽2021年に交換採用するとのこと。是非選んで欲しいものだ。(写真は、四位笙子さんと田島千聖さん)

【2月 九州高校新人ラグビー大会】 2020.2.22~26

「南アみたいに強いぞ!東福岡高校、憎たらしい程、強いぞ!」、「かぐや姫グラウンドに華を咲かせた!女性セブンズ」、あっと言う間の“華やかさ”と“力強い”一試合終了!!。ラグビーの試合を生で観るのは久し振りだったが、「面白かった」。昨年のワールドカップでの“にわかファン”ではあるが、生で全編見る試合は伝わるものがある!引き付けるものがある!

最初の一日だけ写真撮影に行く予定だったが、最後の決勝戦まで合計3日足を運んだ。全体を通じて、まず感動的だったのは「選手の真摯なプレー」を挙げたい。九州各県12位の高校新人戦(12年生)であるが、これからまだ強くなると期待できる。10月のさつま町ラグビー国体が楽しみだ

印象と応援心が湧いたのは、強い東福岡高校、地元の鹿児島実業だ。そして、準々決勝に残った大分東明と佐賀工業の試合も目を奪われた。裸眼とカメラファインダーで終始追いかけていた。ファインダーだけだとスピードとボール移動の最前線を見失う。展開に付いていけない。東福岡高校は昨年の全国大会4位の実力校。体力、技術面に加え、身体能力が良いのだろう。突破力で飛び抜けてトライを奪い、自陣の最終ラインでも守備力でトライをさせない。九州ダントツだ、本当に南アフリカだ、ブルドーザーみたいな強力・重力フォワード

鹿児島実業の試合には力が入った。準決勝の東福岡戦で期待したが、トライは0だったと思う。その前の試合では、両ウィングから飛び抜け独走でトライを決めていた。実に爽快なプレーなので期待したが、彼らは潰しているのである。左右にフェイント的な動きは素走しっこく敏捷性があり、走るのも速い感じを受けるが抜け出せないのだ。敵の防御力が勝っているのだろう。しかし、3位決定戦で大分東明校との試合で“感激するような誠に良い試合”を演じた。前半、圧倒的に強く楽勝と思ったが後半終了間近に逆転されてしまった。疲れのせいでこのまま終わりか、と覚悟したら、残1分少しで猛攻に入った。何と、押しまくってトライを決めたのだ。キックも決めて劇的展開で3位を確定した。涙が出て来そうな攻撃を成功させた。見せてくれるゼ、鹿実!


この大分東明戦ではもう一つある。メンバーより頭一つ飛び出る外国人の選手がいる。伸長が高く架台もしっかりした“強力な選手”イメージである。彼はよく目立つ、レンズが彼を捉えてしまう。どのチームでもあるが、敢然と2人でタックルにかかり、潰そうとするのである。高校生のこの闘争心、ファイトに感服した

まだある。場外でのことである。外野で写真を撮っていたら「行け!行け!…」「止めろ!止める…」「ドンマイ!ドンマイ」などと“黄色い激”が飛ぶのだ。父兄の中のお母さんパワーと解った。あなたのDNAの選手たちだな~と即理解納得。別試合では、女高生がメガホンで応援している。“$#…まだまだ行ける!イケイケ…@?+”と、揃った声援で選手に活力と気持ちパワーを与えている。見ていて肉弾戦、外からも懸命さが伝わりラグビの楽しさが伝わる

得点管理する高校生に優勢チームを訪ねた。優勢なコート側で
撮影するためである。何と分析力がすごい、決して悪く言わない、的確だと感じた。大会運営、スタッフも含め、私は格の高いスポーツ精神に則った試合だったと感じた

 
まだ、書きたいが自主規制1,000字突破したので終わり。32日から20日までさつま町役場で「写友会展示」をやる。ラグビー写真を16点出品するので是非(×3)見て欲しい


【2月 永野ウォーキング大会】 2020.2.23

さつま永野の早春路を歩く「さつま永野ウォーキング大会」。これまで「永野金山」を巡っていたが、今年は「永野の風景と遺跡」を満喫する8kmの新コース。去年までは、旧金山街道の「心臓破りの丘」があったが、今回は少し楽に感じるかも!

実は、私はコースと撮影ポイントを確認するため実行委員会の方に資料をもらい、前日にコースを巡ったのだ(車で!、∵足痛のため)。コース的には“いいコース”と感想を持った。なぜか?安全や天気はもちろん、歩く人は、変化や珍しさ、おもてなし、景観を含めた気持ちよさ、十分な休憩・休息所だと思う

参加者は子供連れの若い夫婦もいるが圧倒的に中高年層が多い。私も参加したことはあり、感じるのは「先頭グループは健脚が多く、歩くのがとにかく早い。恐らく、日々鍛えていると思う(私の経験から、100mを1分ペース、コンスタントだと思う)」。杖をもったり服装も携帯品も慣れた感じで、ウォーカーと言っても良いと思う。

前日から、主催者メンバーは準備をしていた。質問すると彼らは“親切に答えてくれる”。長年のウォーキング実行実績で前準備から当日本番の運営も慣れたものと見える。コースは、摩崖仏、馬頭観音、観音滝(ここが休み所&見所でウォーカーが身心共に一服できる)。まず、下丁場摩崖仏で「子供語り部隊」が歴史の説明をおこなった。大多数の方が通っても見逃していたと思う。鎌倉時代位の歴史があるなんて。え~って珍しがる感じかな!

観音滝公園は、今は閉鎖中だが今日は開いている。もうすぐオープンなので今年の桜に季節に間に合えばうれしい(さつま町の桜や紅葉、キャンプなどの名所)。ここは、接待者やカニや西郷梅、飲み物で賑やかで皆さん一服タイムを取っていた。そして、子供語り部隊が「発電所導水路」とガラス工芸館蕎傍の「観音滝」箇所で大勢集めていた。良く勉強し資料を集めていた。初デビューの子もいたかも知れないが、非常に良い経験だと思う。説明などの難しさ、聴衆の反応など勉強になるだろう

最後は、永野のお寺「泉福寺」。私は、住職の横井さんとは「宮之城文化懇談会」の会員同士ですが、昨日初見の知り合い。今日は「釈迦の涅槃図」の公開日。参加者にも閲覧してもらい、金山関連の写真、資料、そして“ささ福かざり”もあった。次々とウォーカーが現われる前に私は「涅槃図」を絶好の機会と捉え撮影しました。念願がかなってうれしい限りです。昼からラグビー取材のためお暇したが300+当日参加者で大盛況だったと思います。ご苦労様!


【2月 求名どんぐり市】 2020.2.9(日)

Let's excite Gumyoou!(こいで良かケ~)。昨年に続く第2回目の「元気を出そう!盛上げよう!求名~ツ」。メインの稲富神社の境内に食品や飲食類の販売と舞台ショー、下の旧道に初市露店があり人々が集まっている。実はこの日、宮之城地区では「ささ福かざり」と「三味線ライブ」があり人集めは競合している。しかしながら、地元や元気人、芸達者な方々が盛上げていた。実は私は、午前は宮之城でオバチャンたちに“イケメンね~“と言われた「加藤兄弟三味線独演会」で写真・ビデオ撮影をした。その後、即ここへ足を運んだ。消防団関係者の親切な駐車案内は世話になり有難かった

鎮守の杜の境内はイチガシに囲まれ、冬場の日陰は寒い。ユニークな焚火で暖を取っている。イヤ、進行や司会、芸達者が会場を熱く盛上げている。周りの応援は、こんにゃく、田楽、西郷梅、ぜんざい、コーヒー・紅茶、うどん、おはぎ、おこわだ。幟旗の申し込み寄付をユーモラスに“強制”している。意気に感じてヤル人がいた

舞台のライブが見ものだ。「あまみ紬人(つむぎんちゅ)」は相方の女性とフルパワー発揮。徳之島出身の吉本芸人だってエ~、着ている和服は大島紬ケ~。唄や芸能、話術、場の盛上げはさすがプロ。芸をビデオに収めた

注目の女性歌手が登場。かわいいJ 高校の「段亜津美」さん。昨年は盈進小の坪田歌唱王が出場したが、それに匹敵するような新人だ。日置でのNHKのど自慢でチャンピオン。堂々と朝ドラ「スカーレット」の主題歌Superflyの「フレア」を歌うではないか。「なだそうそう」も含め歌のうまい人だ。本人の“大きな夢”を実現して欲しい

素人の方が舞台に上がり横笛の「しの笛?」で竹田の子守歌などを披露。演奏が心地よく、服装を含めセンスが良い。高齢だけど様になってるヨ。さつま町出身の宮崎在住ながらこの市に駆けつけた

トリは「宮崎花ふぶき座チンドンショー」。去年に続き2年目の協力。宮崎の男12のチンドントリオで名古屋のチンドン大会で優勝の経験あり。昭和のイメージがあるが、伝統の中にも現代性も見受ける。彼らはビジュアルが良い。よかニセ、よかオゴで美形のグループだ。彼らが音曲を始めると人々の目と耳を集め、注目の的になる。リーダーはヤリ手風の芸達者で、きれいな女性だよ。パワーがありそうよ。応援に来てくれるなんて根性も人間性も好感が持てる。このビデオも収めた。 ビデオは「ギャラリー」の「動画」タグを参考にしてね


【2月 初市&ささ福かざり】 2020.02.07、2020.02.09

今日は宮之城初市、百縁祭、軽トラ市の連弾イベント。楽しみに朝起きると、あの不吉な音が…よりによって何で今日雨が降るんだ!。小雨で止む気配はないような空模様。風物詩として期待していたが残念!。が、花火が鳴り実行の合図だ。ささ福かざりを期待して出発。根性あるお客様もいるのだが、少ない。露店の主人も経験から予測できるのだろう。薩摩では「島津雨は縁起が良い」などと言うのはやはりカラ元気か

最近お気に入りの「宮之城人形」売り場に向う。結構品揃えはあるが例年より観客は少な目だ。どの店、露店もお客様を受けるべく準備している。可能なら、「カンマチア」のようなアーケイドでもあれば活気があると思うのだが…。来年の好天候と活況を期待したい

【ささ福かざり】
屋地会場(旧NTT)では、例年より会場が拡張され展示物も例年の「さげ物」に加え種類が豊富になっている。説明によると、「さげもんは、ひなの節句の為に母や祖母が子供や孫の幸せを願い、針作業で毬と細工物を吊るした知恵と愛情が一杯詰まった“福寿縁起”の宝物です。さげものは、布や近辺にある材料で使り孫や娘への愛情を形に表したもので、時間を超えて私たちの心にも沁み渡るものとして作られる」とのこと

お嫁さん行列、孟宗竹の工夫、毬(まり)、小物入れ、縁起の干支など年々新しい飾り物が増えてくる。創造物なものが増えると発想が豊かになり「幸せが広がる」思いがする

【津軽三味線独演会】

2月9日は、加藤兄弟による三味線の独演会が行われた。午前は虎居会場で、何と観客がひしめく盛況であった。会場が小さすぎる、とにかく女性客が多い。ゲストが入場すると「イケメンだね~」なんて言葉も飛んでくる。少し寡黙な兄は本場秋田の三味線大会で優勝するほどの実力を持つ。弟は巧みな話術と唄者の青年ペアーである

幼少の頃、さつま町と縁があるらしく懐かしい思い出を語り親近感が持てた。五木ひろしなどの有名人の伴奏を務めたりするので実力は全国レベルだ。バチ捌きの演奏テクニックも流麗で音やリズム、唄もスゴイと感じた。津軽じょんがら節など最高ですよ。演者と間近かでのライブは、田舎?ではあまり体験できないので新鮮でした。ホームページへのビデオ公開を訪ねたらNGとのことだったので、歌を聴いてください
   音声はこちら>> (後日アップ予定)


【1月 消防出初式】 2020/1/12(日)

駐車場で令和2年度の新春恒例行事である「さつま町消防出初式」が行われた。昨日から団員のきびきびした動作、訓練そして消防放水を写真やビデオ撮影を楽しみにしていました。本日、さっそくグラウンドに行くと、エ~ッ…グラウンドでの実施ではなく、町の総合体育館でやるとのこと。う~ん、分団のデモ、操法や放水が見られない!今年は残念だ

体育館に入ったらかなりの参加者と見学者が入っていた。団員はすでに各分団毎に整列していた。団旗を掲げたり人員報告や敬礼などを行い組織的なテキパキな行動を行っていた。資料を見ると22分団409名の陣容である。                     <整列した消防車>

こども園や保育園など4つの参加があった。子供たちは事前に一生懸命練習をし、「規律訓練」が良くできていた。声の発声も揃いかわいくあり、両親や祖父母も良く見入っていた。その後、宮之城東部方面隊7団体の団員43名が「規律訓練」を行った。彼らの番号呼称、整列、行進などは良くきびきびと訓練されていたと思う。解りやすく言えば、日体大の「集団行動」のようでもあった。団員の動きは、自分の仕事とは別に火災予防や消火作業、意識強化に裏付けされているのであろう。隊員は「消防士の姿」がよく身についていると感じた

帰りに駐車場で消防車を見学した。全部で25台程あり、22分団は全て保有しており写真に全て納めた。町の中心部分は、火災や風水害には対応力や機動力もあると思うが、田舎や崖のある部署は課題があるのだろう。避難方法などは難しいことを感じる。梅雨や台風時、何もないことを祈りたい

今回、放水は見られなかったので、1月1日にあった川原分団の放水を参考に写真を掲示する。来年は団員の操作により、噴水・放水により鎮火の迫力を見てみたい。できるなら「虹」も見てみたい


【1月 新春泳ぎ始め】 2020/1/1

202011日の新春泳ぎ初め大会がさつま町の川内川で盛大に行われた。本年は絶好の天候で、気温9℃、水温11℃という例年より温かいコンデイションに恵まれた。小学生から大人まで100名以上が参加し、意を決して身を清め、気合いを入れて泳いだ。近年、河川敷がきれいに整備され、上流から水神様を回るように通って下流の階段までの約100mを泳ぎ下った

県内では数か所泳ぎ初めが行われるが、さつま町には町外の方も参加され、最も参加者は多い。川原地区や水泳連盟の主催者や町長、教育長、議長、友人や保護者、カメラマンなど多くの応援がある。ここの歴史は昭和28年(1953)にスタートし、今年で第67回目目の伝統になっている。因みに、最初始めた方々は……、何と現在85歳位になります。すごい歴史が引き継がれています!

近年は代表者が水中で弓矢を放ち、扇を持って演舞します。どんな意義があるかよく分りませんが、「身心の鍛錬」や水泳選手としての「たしなみ」があるのでしょうか?。参加者は事故などがなく全員元気に完泳できました。「ぜんざい」は体が温まり、達成感があるのでしょう。今年は国体やオリンピックがあり、是非伸びて欲しいと思います

ここ数年、古式の赤フンドシを穿いて泳ぐ方が56人いらっしゃいます。彼らは「火の用心」のネックレスをし、ふんどしには「さつま」の文字を染めてあります。彼らはさつま町消防署の職員です。町への貢献、体力心身の鍛錬、安全祈願を願って参加されていると思います。実に頼もしい方々です

最後に、川原分団が消防車で高く長い放水を行いました。青空の下、宮都橋の手前、川の中央部まで飛び操法技術が披露されました。余り見たことのない、消防車のかっこいい性能を見ることができました。今度、出初式にも行きたいとおもいます

      フォトムービーはこちら>> (3分02秒)


【12月 須杭チャンピオンシップR3】 2019/12/15

 今年3回目のチャンピオンシップが行われました。今回は、私はコース内に入らず、コース外の選手、バイクを中心
 に静的な場面を主体に撮りました。大会の内容は6月のR1を参照して下さい


【12月 イルミネーション】 2019/12/中旬

 クリスマスシーズンになると、電飾ことイルミメーションを見受けます。気分を盛り上げ、年末年始の行く年、くる
 年を送迎するためでしょう。今年を惜しみつつ気持ちを整理し、新しい年への期待感・ワクワク感があります

 さつま町でも以前は何か所か見られましたが、現在は少し規模の大きいものは3ケ所と思います。鉄道記念館、時
 吉、一ツ木の山口邸です。都市部のものほど華やかではないですが、ご覧ください

アミュ広場、川内駅、出水市 ↓


【12月 冬のホタル(みやんじょ温泉竹ホタル)】 2019/12/07

さつま町では、12月のこの寒い時期に「ホタル」が見られます。5月末にも川内川流域には無数のホタルが飛び交いますが、今回はろうそくが照らす「竹ホタル」です。みやんじょ温泉街を竹灯ろう7000本でぼんやりと灯す“冬のホタル”です

さつま町は竹林面積日本一と言われ、孟宗竹はあそこにもそこにも生えています。高さの違う竹を斜めに一刀両断したものを3個一組にし、約800mの歩行者天国に設置してあります。初夏のホタルも幻想的ですが、ろうそくがゆらゆら照らす灯りも幻想的です

湯田八幡神社で神事の後、地元の小学生たちが「竹たいこ」を演奏します。ここでこの演奏曲、我が文懇会員の小原裕貴さんがアレンジしたものなんだそうです。こんな関りがあるとうれしいですね。その後、まだ少し明るいですが神社境内の竹とうろうに皆で点灯します。子供たちは我先に点灯してまわります。鎮守の杜、朱色の鳥居に囲まれた“ホタル”は薄暮の境内に次々と輝きを放ちます

例年、笛などの演奏で雰囲気を盛り上げていましたが、今年は残念ながらありませんでした。また、冬の花火もなく、とうろうと花火のセット写真やビデオも断念しました。とうろうと花火のコラボは絵になるんですけどね

灯ろうの光を頼りに会場内をあちこち走り回り撮影スポットを捜しました。途中、観光客や近郊から訪れたと思わしき人たちとすれ違いました。撮影スポットは、斜面の竹林部と道幅の広い箇所で、灯ろうを数多く置いてあります。淡い光が竹林を照らす図を収めようとカメラマンが集まっています。スマホでも取れますが、どれだけ幻想感を出せるか、構図とともに腕の見せ所でしょう。私は、今年はクロスフィルターを使って“光の光条”を入れようとしましたが…、結果は技巧に走り過ぎて不自然なものになってしまいました。勉強になりました。来年、再挑戦です。

暗い中に長くいたことで考えたことがあります。電気の無い昔は暗く、夜も長かったと思います。そういう生活が人間のリズムだったと思うのです。祖先たちは長い時間、そんな暮らしで時間もゆっくり流れていた訳です。夜も昼間のような光に溢れる現在、わずか数十年の間に順応した、と思うが実はゆっくり人も自然さえも変調しているのではないだろうか。ん~ん、とにかく今晩は良い夜を過ごせた



【11月 さつまフェスタ】 2019/11/17

恒例の秋祭り「さつまフェスタ(第15回)」が求名の薩摩総合運動公園で開かれました。当日は祭り日和で老若男女多くの人で賑わいました。さつま町のイベントで、一番人出が多いのは「夏まつり」、その次はこのフェスタだと個人的に思います

開始時間早々より入場し、全プログラムを見ました。飲食・特産品の出店も50店以上、子供向けの工作、舞台ショーや郷土芸能などのイベントが盛りだくさんで、しばらくは会場内をうろつきました。私は、祭りは心がウキウキとなるので昔からこんな雰囲気が大好きです。地元の団体や店舗の出店は地場産業の活力や心意気を感じます

「地元の魅力・文化を撮る」がモットーの私は、今回は、郷土芸能と舞台ショーに張り付き、ビデオに収めることにしました。最初は幼稚園児や子供の太鼓やキッズダンスでしたが、最近の子供は音感もよく、手足も長く、服装センスもよくて大したものです。フラダンスなど年配者の出し物もあり、こういう場での発表がやり甲斐になるのでしょう

紫ショーでは、「薩摩川内おどり太鼓」が異彩を放っていました。学生が主体ながら全国、世界を舞台に活躍しているグループです。太鼓のバチさばき、踊り、演奏、全体のビジュアルも素晴らしく舞台と舞台前のスペースをフルに使った演舞は迫力満点。45分の華麗で躍動的な演舞、太鼓の音に目と耳を引き付けられました。笛と太鼓の和楽は、私には懐かしさをも感じさせます。また、お城のようなバックとよく合っており、私はカメラにスマホに大忙しでした。

郷土芸能も4公民館が持ち回りで披露するので楽しみです。平川区の「ひょっとこ踊り」は、その所作や服装に思わず笑みがこぼれます。久富木は矢旗を番傘に変え「創作、さつま町音頭」の手踊りでした。両方とも新たな伝統芸能、村の活性化へのチャレンジでした。仮屋原三尺棒踊りは、その由来は豊臣秀吉の九州評定まで遡ります。戦うつもりの剣術練習が一転、秀吉への奉納になったとか。テンポのいい演舞だったと思います。

トリは紫尾地区の「弊舞い」。これも島津義弘の朝鮮出兵が由来とのこと。白の単衣に白鉢巻、左手に刀、右手に紙弊を持ち優雅に舞います。特徴的なのは全て女性であること。初めて観ましたが、赤紫の袴姿はつつましやかな美しさで神社の奉納舞にピッタリだと感じました。また、紙弊を振りながら入場する姿、舞う姿は勇ましく凛々しく感じました

さつま町の日本一の一つ、歌唱王・坪田俊一さんの歌謡ショーも聞きごたえ十分でした。レパートリが増え、私はひと昔前の歌謡曲の方が心に沁み、声の良さ、歌のうまさを感じました(郷土芸能、ステージショーは「動画」を参照


【10月 船木豊年踊り】 2019/10/06

棒踊り、髷(まげ)踊り、一本矢旗太鼓踊り、三本矢旗太鼓踊りの踊り連が、船木地区農業構造改善センターのグラウンドで華やかに勇壮に、そして競うように舞った。それぞれ、船木地区の旭・西・東・下の4集落の郷土芸能で、3年に一度開催される「船木豊年踊り」である。この地区は庭狂言の兵六踊りも含め、多くの郷土芸能が存在している

午前中は各々の神社に奉納し、昼から一般への披露となった。旭集落は公民館そのものの歴史が浅いので棒踊りの歴史もまだ浅い。しかしながら、小学生も参加し前回よりも規模も大きく、且つ、年々上達進化し”旭の棒踊り”が伝統となるのだろう

髷踊りも太鼓踊りであるが、服装や背負っている傘のような飾りが独特で華やかである。一本矢旗は須杭のものと似ており、三本矢旗は船木、角郷にあるという。いずれも勇壮で両者の違いは、細かくは、矢旗、入れ鼓の構成・動きである。アケスメロを含めこの種の踊りは、いずれも義弘公由来と言われており、鉦太鼓や入れ鼓の扮装など共通点も多い

強引ながら、三浦哲郎氏の寄稿文(宮之城文化13号)を紹介することで船木の踊りを表したい。大正9年、昭和天皇が皇太子時代鹿児島に行幸された際、御前で踊った川口アケスメロの新聞記事である。照国神社境内で踊られたもので、観客に強烈なインパクトを与えており、同系統の踊りということでご容赦いただきたい


 宮之城踊りの扮装は、大変華麗を極め、太刀を腰につけ、弓矢を背負い、赤青など
 の様々なる色彩の装いにて、踊りは千変万化を極め、鉦太鼓は訴える如く叫ぶが如
 く単調、或いは乱調に鳴り響き、光栄の陽に輝く城山の老樹を揺るがし、喜悦の
 感、濃(こま)やかなり…

同じく、同寄稿文の中で、民俗学者・下野敏見氏が宮之城の民俗芸能を調査研究された結果を一部ながら紹介したい

 ①アケスメロは服装が華やか。花笠で顔を隠すのも他にない

 ②入れ鼓が桴を両方に拡げたり、飛び回る姿は蜻蛉(とんぼ)の舞を想像する

 ③夏の終わり寺社で踊るのは、稲の害虫をとんぼが食べるためであるが、旧領主の
  霊を鎮めないと害虫が発生すると信じられていたからである
 

ここからは、管理人の推測を述べてみたい。アケスメロなどの太鼓踊りは島津義弘公が由来と言われる通り、義弘公は三州統一、九州制覇、秀吉の九州侵攻、朝鮮出兵、関ヶ原の敵中突破など武勇に秀でた猛将である。義弘公の顕彰や尚武な薩摩武士の士気高揚、凱旋祝いに舞われたというのは納得のいくところである

これらの踊りは武士の踊りながら、城下士や郷の麓では余り見られない(下野氏によると、自身は寺社を背に見る立場、指示する立場)。伝わっているのは半農士の在(郷)の下級武士の地域である。平和な時代になると、“農”が重要になり武勇の要素に加え、“豊年”を冠しているように豊作を祈願するようになっていったのではないだろうか

当日の様子はこちら>> 


【10月 湯田八幡神社例祭】 2019/10/06

早くから幼子を連れた若い夫婦が境内に集まってくる。目的は…。子供の健やかな成長を願って怒猊(どげい=悪喰)に噛んでもらうためである。この儀式は、子供の災難祓いのありがたい御利益があると昔から厚く信仰されており、今も変わらない

実りの秋になると、さつま町では「秋祭り」が各地で開かれる。湯田八幡神社では毎年10月の最初の日曜日に例祭が執り行われる。神事、御浜下り、怒猊の災難祓い、楽の奉納、祝いの宴席と続く。楽は、現在は棒踊りと秋津島舞である。後者はアケスメロとかズシキャンキャンとも呼ばれる舞である。「秋津洲」や「秋津島」、「蜻蛉(あきづ=とんぼ)」は「日本」を表す古い言い方であり、記紀が出典である。川口地区の蜻蛉洲舞郎が基になっているとの事であるが、ここでは秋津島舞となっている。遥か遠い昔は、流鏑馬や佐志の阿字賀神社への御幸(みゆき)もあり非常な賑わいを見せたと古文書にある


御浜下りは、近郷の神社では見られない湯田八幡神社特有の神事である。宮司を先頭に、翁系のお面、太刀持ち、太鼓、お神輿、怒猊、氏子たちが行列をなしてすぐ下の川内川まで練り歩く。代表と怒猊が「流水」を汲んで神輿の中の「壺」にお移しし祝詞をあげ、神社に奉納する儀式である。この儀式の意味するものはよく分からないが、隣接する小学校の名前は「流水小学校」、そして温泉町であり、この聖水とも禊(みそぎ)の水とも言える「水」に関連があるのだろうか?

 

秋津島舞は、大太鼓、小太鼓、鉦(かね)を奏でながら舞う踊りで、ところ狭しと縦横に動き回る花笠の入れ鼓、激しく叩く太鼓のリズムはまさしく華麗にして勇壮。この舞は創建に関わった古城主・冨満氏の供養塔でも奉納する。文禄の役(朝鮮出兵)では島津義弘・忠恒が戦勝を祈願したと伝えられ、朝鮮出兵に由来していると考えられる

 

棒踊りは流水小学校の生徒さんたちが奉納する。屈強な男たちが踊る硬派な棒踊もいいが、赤い法被姿に白いたすきの子供たちの舞も、朱色の鳥居が鎮守の杜に映えるようになかなか様になっている。授業の合間を使って練習をした成果が出ていたと思う

 

この神社はとても古い歴史を持っており、関東武士が下向する際、鶴岡八幡宮の御分霊を勧請したのが起源とされている。何と、鎌倉幕府の成立した頃(1185~1192)が創建で、昭和50年代中期に創建800年祭を迎えている。藩政時代の三国名勝図絵にも登場している。鳥居の左右にある、風化が進み苔むす阿吽形(あうんぎょう)の仁王像や龍と剣を形どった手水鉢も古い歴史と格式の高さを感じさせる。

 

最後は、町道で広く展開する「ビラ巻き」で締める。青空の下、広い場所で多くの見物人の前で舞う踊り手は、水を得た魚の如く本領を発揮しているようだった 

 

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【9月 金吾様踊り(中津川)】 2019/09/29

大石神社の境内に笛や太鼓、三味線の音が響き渡り、8つの保存会の舞と子供の出し物が奉納されました。一昨年も昨年も雨や嵐で中止になり、満を持して、そして3年間の「情熱と想い」が発露した今年の「金吾様踊り」でした。境内は多くの見学者で埋まり、歓声や掛け声も飛び交う、昔もそうであったであろう賑やかな一日となりました

稚児行列に始まり、稚児舞、子供神輿、子供ハンヤと将来の担い手が大声で元気に舞を奉納しました。64年振りに復活した「棒打ち舞」は、陣羽織を纏った独特な髷(まげ)の4人の若衆が厳かでゆっくりした所作で気合いと共に棒を打ち合い、祭りの場を清めました。地割り舞も、花笠を被り胴着に鎧姿で弓を持ち、飛び跳ねながら祭神をお招きする地を清めました。神楽調の調べの中、ゆっくりした気品のある動きでした

棒踊りは、3尺棒と6尺棒の2種類があります。浴衣姿は、他の踊りに比べて地味ですが、かえって質素、男らしさ、勇猛さを表しています。剣術の要素が強く、いずれも藩主が士気を鼓舞し農民に躍らせ剣術の鍛錬をしたと伝えられているようです

 

虚無僧踊りは、虚無僧姿の男性と和服に黒い頭巾で顔をかくした女性がペアで踊ります。踊り自体は静かで、すこし哀感のある雰囲気ですが、虚無僧に扮して仇討を遂げ、妻と喜んで踊ったとの由来があるようです。武士の踊りで、女性の頭巾姿はつつましくも気高い女性を象徴しているように感じました。唯一女性の舞です

 

俵踊りは、昔、勧進相撲が行われた際、寄進された金品や米俵を観衆に披露する様子を踊りにしたと伝えられています。子供たちが、俵を投げ合う場面などは何ともユーモラスで思わず笑顔がでてきます。小さい子供たちも一生懸命練習したのでしょう

 

兵児踊りは、参勤交代の長旅で士気高揚のため酒席で踊ったと言われています。顔の隈取、服装も踊りも何ともユーモラスで楽しくなってきます。見せ場は高く足を上げて飛ぶジャンプで、壮観です。謹厳実直そうな武士も、こんな遊び心もあったのですね。昔の人も楽しくやっていたのですね。金吾様踊りの代表的な踊りです

 

最後は何と言っても「鷹刺し踊り」。領主の狩猟で農民を勢子に駆り立て奉公させ、この鷹狩りの様子を踊りにしたものです。お祭や殿様の領内廻りなどの時、武運長久と領内安穏、領民安全を祈って踊るようになったと言われています。現在は、3部構成になっていると思います。いずれも流麗で柔軟で躍動し、スピードもありバランスを含めた所作が非常にきれいです。三味線と太鼓のリズムも心地よく、目は踊りに引き付けられ見入ってしまします。郷土芸能の域を出ているのではないでしょうか

最後は、全員参加で境内を埋めハイヤ節の総踊り状態でした。今年は最後まで見れて本当に良い一日を過ごすことができました。すばらしい地域おこしです。大念仏踊りの由来も調査したので書く予定でしたが、次の機会にします

(由来はパンフレットを参照)

  

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【9月 柊野彼岸花まつり】 2019/09/23

稲穂がすこし黄金色を呈する秋彼岸のこの日、景色を楽しみながら柊野地区の田園をカメラ散歩しました。2019/9/23、恒例の「柊野彼岸花まつり」の日です。前日の台風17号の影響で曇り空を予想していましたが、当日は散策にも撮影にも絶好の日和。ここ数年、この「まつり」は好天に恵まれるという強運のイベントとなっています


初秋を迎えた緑黄の田園は、赤い彼岸花とのコントラストが素晴らしく、すぐそこに見える山脈みと、秋色の空と雲は更に色どりを添えます。今回は、89分咲きと言ったところでしたが、30haに約20万本の彼岸花、最盛期は鮮紅色の絨毯で集落全体が包まれます

早速、「みそびら弁当」を注文し、カメラを抱えて散策開始。今回は、クローズアップ、広角風景が主目的。しばらく行くと人だかりが。小学生5名が拡声器をバトンにリレー方式で由来などを説明していました。初デビューの子もいたのでしょうか? 傍で見守っていたお母さん! お子さんは立派に役割を果たしていましたョ。感激して握手を求める人もいました。この説明は金明竹、仏飯講の3か所でありました。

パチパチ撮りながら、ふと見上げると実に良いタイミングで休憩所。冷たいものを頂きエネルギーを充填して更に進む。次は、もう一つのお楽しみ、鮎の塩焼きを頂くこと。木場橋(ボロ橋)を渡ると、知敷大作さんが毎年、鮎の塩焼きを無償提供してくれています。今年は不漁の年にも拘わらず、さつまガイドの市野國治さんと多くの天然鮎を振舞っていました。毎年、ボランティアで無償提供し、参加者に喜んでもらう…。誠に頭がさがります

孟宗竹の節に金色と緑色が交互に現れる「金明竹」、縦縞模様の竹も貴重な財産。ひょっとしたら”かぐや姫”はこんな竹から生まれたのでは…。ちくりん面積日本一のさつま町、こんな貴重な竹も誇りです。我が町にピッタリではありませんか!

約2時間かけて散策した後は、メイン会場(旧柊野小学校跡)でイベントを見学。浴衣姿の素朴な扮装ながら勇壮な郷土芸能「棒踊り」でオープン。幼稚園児の和太鼓演奏、マーチングもかわいいでした。トリは地元出身の歌手・大木伸さんの歌謡ショー。演歌と高齢者には懐かしい歌謡曲でした。
今回は、残念ながら仏飯講、田の神、切開けどんなどは見られませんでした。次回にとっておきます

 


 当日の様子はこちら>>参照 

 



【8月 二渡区伝統芸能奉納祭】 2019/08/25

小高い丘の鎮守の杜に佇む二渡の南方神社。周囲の緑と朱色の鳥居、そして、踊り手の扮装や高々と背負った矢旗がよく映える。楽が始まると、境内に太鼓と鉦の音が響き、勇壮にして静かで華麗な踊りが奉納される。2019/8/25、山崎二渡地区において3年に1回行われる村社(南方神社=諏訪大明神)への「郷土芸能奉納祭」の様子である

 

小雨の一日だったが願いが叶い、その間隙を縫うように四集落の踊りが無事奉納された。各集落の楽は、二渡地区の一本矢旗太鼓踊り、折小野地区の秋津舞(アケスメロ)、須杭地区の一本矢旗太鼓踊り、二渡町地区の手踊りで、比較的小規模の公民館ながらそれぞれの伝統芸能を伝えており、その価値はますます貴重になってきている

須杭集落の一本矢旗太鼓踊りにふれてみたい。南誠氏によると、この踊りは戦(いくさ)の様子を現し、動き始め、走る・飛び跳ね、整列の動きは、「出陣」「戦闘」「凱旋」を表すという。朝鮮出兵を機に始まったと言われ、その後、農民の士気向上、五穀豊穣の祈願へと変遷していったと推測されている

構成は、浴衣姿で赤、白の弊で飾った花笠のカラテゴ(唐太鼓<小太鼓>)、武者絵の衣服をまとい花笠を被った鉦(かね)、白衣をまとい毛笠を被り胸に大太鼓、背に一本矢旗を背負ったウデコの計26名である。太鼓が「ズシ」、鉦が「キャン・キャン」と奏でることから「ズシキャンキャン」とも呼ばれていた

 

管理人の推測であるが、武者絵や矢旗から藩政時代の武士の踊りだったと思う。平和な時代になり、農業の生産性や農民の連帯感、モチベーションの維持などのため、害虫防止や豊作祈願となり、そして娯楽的な祭りへとなったのではと考える。苦しい門割制度の中、農民にとっても踊り手は羨望の的で、一生懸命舞ったのではないだろうか 

 

 須杭一本矢旗太鼓踊りビデオ>>(2分15秒) 全体のムービーはこちら>>


【8月 さつま町夏まつり・熱勝祭】 2019/08/04

 

 8月4日、猛暑日のこの日、さつま町の夏の風物詩「夏祭り」が行われた。まず、この人出を見てもらいたい。いつ
 もは人通りも疎らな屋地交差点を中心に多くの見物人で賑わっている


 町のイベントで参加者・お客さんを集める一番盛大な祭りであり、形を変えながらも長く続いている。今年の副題は
 ズバリ「熱勝祭」。この暑い時期、過疎化や暑さに打ち勝ち、活(カツ)を注入し活性化を願ってのことだろう

 『宮之城文化6号』で田島久夫氏が昔の祭りや準備の賑やかな様子を述懐している。要旨を抜粋すると、
  ・娯楽の少ない時代、祁答院地方一番の盛大なお祭りで、近郷近在より大勢の見物人が訪れて賑わった
  ・田舎からの客のために、商家はそばや煮しめで接待し、商人も客も一緒に祭りを楽しんだ

  ・若者たちは、山車の屋根材を切り集め、各々の山車を綺麗に飾った、長灯籠、朝顔灯籠、軒灯籠も作った
  ・女性たちは、通りを飾る造花を作り、踊りや三味線、太鼓の稽古に一生懸命だった
  ・町中が活気に溢れ、祭り一色、心うきうき、仕事も手につがず皆もうのぼせていた

 この祭りは、私の小さい頃は「オギオンサア」と言っていた。由来は、疫病退散を願う京都祇園社(八坂神社)の

 「祇園祭り」の流れをくむという。今では、山車運行、神輿などが昔を伝えているが、悪喰い、五つ太鼓は町独自の
 出し物だろう。最近は、花火やステージショー、ねぶたも加わり、賑やかになってきている

 色々書きたいが、今回は「悪喰い」について書きたい。悪喰いに噛まれると健
 やかに育つと言われ、今も祭りのスター的存在である。昔は、アックイチャメ
 (悪喰面か?)と言い、湯田八幡の怒猊(どげい)に由来を発するようだ
 
 怖いもの見たさで見るそれは、口を開け閉めしながら悠然と頭を上下左右に動
 かし、獲物を狙う獰猛な豹のような所作で飛掛かりそうな”演技”があった
 また、猛スピードで走り回り、子供を見つけて噛みついたような記憶がある

 まさに、この世の生き物ではなく異次元の怪物であった。オギオンサアと言え
 ば、今もあの恐怖の”悪喰の舞”が強烈に残っている

 当日の動画は、こちら>>  


【6月 棚田と田植えの風景】 2019/06/22

 青田を吹き抜ける風が爽やかなこの時期、風物詩と言えば「田植え」。今回は中津川地区を訪ねました。目指すは白
 猿(しろざる)棚田。通称、かなり訛って”
シトザイ

1.さつまの秘境“白猿棚田”

 

 北方地区より山あいの道を南方川沿いに登り進むと、突然目の前に石垣と開けた斜面が現れる。数軒の民家が棚田と
 共存している白猿棚田である。まず目につくのは、法面は石積みで作られており高く広大なことだ。全部で70枚、作
 付け面積3haという。標高も335mと高く1/5の急傾斜である。丁度お二人で田植えの最中であったが、まるで「天空
 での田植え」だ。田は比較的広く、畦は直線的であるが、地形の等高線に沿った自然の曲がりも見受けられる

 

 棚田は土で作った土羽(法面)をイメージするが、ここは大規模な石積みの法面である。昭和中期に集落の人々が開
 墾したそうであるが、重機も入ったと思われるが、牛馬や人力に頼る面もあったと想像する。集落の人々の粘り強
 さ、勤勉さに敬服する。それを成し遂げた偉大な結果がここに現存している

 

 ここは天水田であり、森が蓄えた水が脈々と湧き出でて尽きることはないという。透明で冷たい水が惜しげもなく
 れ
落ち、美田を潤し、おいしい米を育むのだろう。そして南方川、穴川と流れ川内川にそそぐ。生活雑排のない自然
 がろ過したピュアーな水、川内川水系の源流はこんなにも素晴らしいところなのだ

 こんな風景を見ると懐かしさを感じる。平地の幾何学的文様の田園も美しいが、山奥に隠れた日本の原風景的な景観
 もまた美しく郷愁を感じる。独りボーッと眺めていたい景色だ。ここは知られざる“さつまの秘境”と言えるのではな
 いだろうか

 動物名の地名で、神の使いである”
白猿が生息した地”が由来かと思ったが、そうでなく古い歴史を持つ所である。
 薩摩町郷土誌は、熊襲の一族が岩屋に立てこもり、最後まで抵抗した首領の名"白猿"からとった、と言う(因みに兄
 の名は”黒猿”)。ヤマトタケルの
神話にもでてくる、古くて勇猛な一族の長からとった地名なのである

 

 最後に、防災上の問題を気にしつつ、この環境で作った「白猿の棚田米」を食べてみたいと思いながら辞去しました

2.コメのふるさと、種もみの産地“弓之尾”

 

帰りは弓之尾地区に出ました。あの「鷹刺し踊り」の弓之尾です。ここに何と私が撮りたかった光景があるではないですか。三世代家族で田植え…絶好のシャッターチャンス!

 

おばあさんは軽トラから箱苗を下ろし畦に並べていました。お父さんは田植え機で田植え、おじいさんは田んぼを平らにならし、お孫さんは苗の手渡しや箱の洗浄・片付けをやっていましたん…、一人足りない、と思っていたら、お母さんが10時頃カゴを持って参上、そうおやつを担当でした。…何ともうらやましい光景でした


おじいさんは、孫ちゃんに「列が『よんごひんご』なっちょっで、お父さんにモチット真っすぐ植えチ、言いなさい」などと純鹿児んま弁でやさしい
檄を飛ばしていました

 

ここは、県下唯一の普通期米種もみの生産地。殆どの農家が種もみを生産するとのこと。今植えているのはヒノヒカリ。私たちが食べているお米のふるさとはここだったのですね。県内の米作りを左右するので、ノウハウや厳しい管理を経て、最終段階でも厳格な選別をクリアして初めて種もみとして流通するとのこと。県内農家もこのように支えられていることがわかりました。台風などの被害にあわないよう秋には立派に稔ることを祈ります


【6月 須杭チャンピオンシップR1】 2019/06/09

色鮮やかなウェアーに身を包んだライダーが、バイクに跨り爆音と共に砂塵を巻き上げながら原野を疾走する。ここは、信号や速度制限、騒音規制などの交通ルールは適用されない非日常の治外法権的な空間。ガッツあふれるライダーが飛び、疾駆するモータースポーツ、モトクロス会場である

 

6月9日、令和最初の須杭チャンピオンシップR1が行われた。場所は、二渡地区の河川敷に設けられた1.5kmの須杭リバーサイドオフロードコース。15年前に徳留伸一・和樹さん親子が中心になり、地域の方々と共に造成した苦難の歴史を持つところだ

 

コースは自然の起伏を利用し、カーブ、坂、ギャップ、凹凸ありの土と砂の未舗装オフロード。カーブは大きなバンクを持っており、マシンコントロール、ライン取りなどテクニックの見せ場でもある

バイクもスポーティーでスタイリッシュである。衝撃を吸収するしなやかで長いサス、強靭な足回り。タイヤの深い凹凸はしっかりと大地をグリップし蹴るためだ。エンジンは爆音と共に市販車の倍のパワーを生み出し、スロットルは加速と瞬発力を生み、風を起こし集中力を高める

 

レースは、小学生の50ccクラスからド迫力のオープンまで6クラスで戦われる。今回は、6~65歳のプロ・アマ61人が参加した。もちろん地元のライダーも出場した。勝敗は、一斉スタートし10分間の周回+1周を2ヒート行い、着順でポイントを競う。要するに、技術や駆け引きも含めたタイムがものをいう


選手にとっては、レースに出場すること、プロと走れること、観客にとっては、身近で迫力あるレースを観られることが魅力である。選手もジャンプなど華麗なパフォーマンスを見せてくれる。カメラマンも多く、随所でシャッター音が聞かれる。とにかく「絵」になる被写体である。乾いたエンジン音も観客の心を躍らせる

 

大会の理念は、「走りを楽しむ、モトクロスの魅力を拡める」であり、スピード追求は二の次という。会場は選手の家族が大型車で来場し、テントを張って家族団欒を楽しんでいる。まるでキャンプのような雰囲気がある。で、ありながらも、本大会は有力選手を輩出し、プロも参加する。全日本の大会で優勝するようなプロも注目する大会に育ってきている

 

このイベントは地域おこしであり、交流の場でもある。そして、新しい文化を創出していると言える。課題がある分、進化の余地もある。今後、多くの方々が観戦し、選手を覚え後押ししてもらえれば更に盛り上がるだろう


【6月 鮎まつり】 2019/06/02 ~旬魚で初夏を味わう。老若男女、丸かじりでワイルドに行こう~ 

夏の到来を告げるさつま町「鮎まつり」が開催された。場所は、二渡の水辺公園のホタル船が発着するところで、対岸には山崎城址を望む。途中で雨に見舞われたが雨天決行。気合いで最後まで完遂 

 

この催しは川内川の清流を取り戻し、魚などの資源保護や川への理解と親しみを持ってもらうのが主旨で、今回で第13回目を迎える

 

初夏の使者、清流の女王と言われる「あゆ」。目玉は何と言ってもその塩焼き。この旬の魚を求めて数百人が行列をつくる。3,000匹の鮎を炭火で焼き、丸かじりするのがダイナミックでワイルド。

 

鮎を購入したら、赤々と燃える炭火で焼く。網焼ながら直火にあてないので、じわじわと焼くことになる。この方が、無駄な油や水分が抜け、外はカリッと中はふわふわとなるそうだ。煙と共に香ばしい匂いが立ち込める。焼けたら思い思いの場所で食するが、これがまた野外なので、おいしさもひとしお

 

しばらくして、幼児・小学生によるモクズガニの放流。よく「モズクガニ」と言い間違えられるが、モクズ(藻くず)ガニ。通称、山太郎カニ、高級食材の上海カニの親戚(同属異種)にあたる。正面から見ると、映画「プレデター」に出てくるエイリアンに似ているせいか、大きなハサミで威嚇するせいか子供たちはおっかなびっくりで、少し腰が引けている 。しかし、無事放流。大きくなって帰ってきてね~。ウ~ン、太らしてから食べる…みたいで、なんか残酷な気もする

 

ニジ マスだけど1時からニジマスのつかみ取り!と、司会の発声で早速開始。幼児は魚の動きについていけず収穫はほぼゼロ。健闘したので1匹ずつおじさんから貰い受ける。高学年になるにつれ、要領よく掴む子も。最後はお母さんたちの登場。さすがに迫力ある動きで何匹もゲットする人も。これ位のたくましさがなければ世間を渡れない。バトルの後はニジマスも激減!夕食の食卓に上がることでしょう


【5月 白男川泥んこバレー】 2019/05/26 ~泥の中から咲かそう友情と連帯の花~

5月26日、白男川で第6回泥んこバレーがあった。前夜の、体育館での音楽フェスに続くイベントで12チーム、65人が参加した。

 

会場は、旧白男川小学校(現きららの楽校)裏手の田んぼ。北西に紫尾山を仰ぎ、田の神様も見守る広大な白男川の田園の一角。すぐ傍には、中世期の白男川城址があり六面地蔵も鎮座する歴史ある地域でもある

 

管理人は初めて見たが、コートの設営、広さと選手数、泥の具合、ルールなどうまく考えてあると感じた。選手は準備万端、地下足袋やメガネなど田植えにふさわしい服装…イヤ、バレーにふさわしいいで立ちである。試合が始まると、勝負の中にも笑顔ありの対戦。体が思うように動かないのだろう、体育館感覚の頭に足がついていかない様子

 

見ている方は、無責任にも思いっきりたんぼにダイブし、泥まみれになるのを今か々と待っている。選手ももどかしいのだろう、真剣にやるものの珍プレーが珍プレーを生む展開に。かなり体力を消耗するのだろうが、そこは青年団が中心の若い衆、終わるまで責任を果たしていた。終わったら握手して健闘を称え合っていた。蓮(はす)は泥の中から生まれ、きれいな花を咲かせます。泥の中から友情や連帯が生まれるといいですね

 

一試合終わると、きれいだったユニフォームも泥まみれ、そのまま泥染めできるのでは…と思ってしまう。が、スペシャルシャワーできれいになって下さい。そして温泉で体を休めて下さい。選手も見るほうも楽しめたイベントでした。途中でお暇したが事故なく終わることと、定着することを祈ります   動画はこちら>>


【4月、5月】は「自然」ページを参照ください


【3月 泊野観光タケノコ園】 2019/03/31 ~タケノコは竹林の贈り物~

3月31日 第27回、泊野観光たけのこ園が実施される

 

今回はオープニングで、復活した郷土芸能「虚無僧踊り」で約100名を歓迎。当時、虚無僧は今でいうスパイとのこと、家族との長い別れの様子を踊りで表現したものという。

 

今年は裏年。その分、今期のタケノコは貴重品。丹念に手入れをした甲斐があり、まさに「山の幸、山からの贈り物」

 

竹林に足を踏み入れると少しひんやりした空気ながら、2~3個掘ると汗がにじむ。竹の根が縦横に密集し簡単には掘り上げられない。「外堀を埋める」という言葉があるが、タケノコ堀ははその逆。山クワでじっくりと周り堀り、仕上げは的確に根本を切る必要がある。素人にはこれが難しい。案内人の慣れた鍬使い、力の入れどころはやはり様になっている

 

子供たちは嬉々として大きなタケノコを掘り、最終的にとうまい袋(麻袋)2個ほどになる。それでも市価より断然安い。



【2月 永野金山ウォーキング大会】 ~藩財政を救った黄金、金山街道は起伏に富む黄金ロード~

 2019/02/23 恒例の「さつま永野ウォーキング大会」が行われました。鉄道記念館をスター
 トし、金山街道(藩政時代の旧道)、金山集落を通り、坑道口や、トロッコ線の橋脚跡、鉱業
 館跡を巡り、国道50号線を通り交流館までの8~10kmのコース

 

出発後、少雨に見舞われるも縁起の良い島津雨。先頭の健脚の士が大行列を引っ張る。田園部を過ぎるといよいよ金山街道の難所。往時、金鉱探査の山伏が錫杖と山刀で穴川沿いに進んだと伝えられるが、彼らもこの道を通ったのだろう

 

坂を上り終えると「人間田の神様」が笑顔で迎える。金山集落の街並みは往時の面影は感じられないが坑道や精錬所跡は当時を伝えている。子供語り部隊の説明を聞き、更に当時の状況がわかる

 

山奥に出現した黄金の町、欲や希望、一攫千金を夢見た多くの人々が往来した街道。今は、きれいに整理された林道は上り坂が続くものの、ひんやりした空気と周りの孟宗竹や木々が心地よい。山峯棚田は平野部の少ないこの地区で貴重なコメの産地だったのだろうか

 

永野金山は、2001年までに産出量28.4トンで国内7位という。正に、黄金の国ジパングの一翼を担ったのだろう。



【2月 求名どんぐり市】 2019/02/10 ~初市の再興に向け、約1000人が集まる~

2月10日(日)、求名の稲富神社で「どんぐり市」が行われました(国道267の旧道)。初市が途絶えて久しく、往時の賑わいをとりもどすべく「求名きばいもんそ会」が中心になり第一回目が行われました。

 

境内には大きなイチガシ(?)があり、どんぐりがたくさん落ちていました。ここに1000人以上が集まり、大盛況でした。舞台もあり、全日本歌唱王の坪田先生(盈進小学校)の熱唱やチンドンステージショーもありました。チンドン屋は、昔はよく見かけました。手軽な宣伝手段だったのでしょうが、「空に~さえずる…」など、もの悲しく賑やかで人を引き付けるものがあります。小学生の頃、後を付いていったものでした。

 

旧道には出店が並び、昔の光景が蘇ったのではないでしょうか。再興し今後も続けていってほしい催しです。



【2月 宮之城初市】 2019/02/07 ~初市の風に吹かれると風邪をひかない…本当かな!~

春を呼ぶ宮之城初市が行われました。盈進小学校前の旧御仮屋馬場通りに店が並びます。出品されるものは時代と共に変わっていきますが、昔の初市の名残を残しています。近年は、ささ福かざり、百縁祭、軽トラ市も同時に開催され、今後更に定着していくことでしょう。

 

小さい頃、初市は賑やかで心はウキウキ、親から何か買ってもらうのがうれしいでした。因みに管理人は、おもちゃの刀とお面をよく買ってもらいチャンバラごっこをしたものです。そして、親戚の家でお蕎麦をごちそうになるのがうれしいものでした。

 

昔から初市(別名、人形市)の風に吹かれると風をひかないと言われ、縁起物の出店が多数並んだそうです(今の人なら、それって逆でしょう。マスクをしていきなさい…などと突っ込みが入りそうですが)。

 

初節句の子供の健やかな成長を願って親類縁者が土人形を買い子供に贈る習わしがありました。宮之城人形は、朝鮮、東郷にルーツを持つ非常に素朴な土人形です。色とりどりの天神様、鯛持ち、立ち娘など多くの種類があります(パンフレットより)。年を取ると宮之城人形の良さがわかり魅了されます。

 

色んな出店は昔ながの風情があります。鯛焼き、回転饅頭、いか焼きなど昔ながらのものに加え、Fフルト、ボテチ、焼きそば、お好み焼きなど色とりどりです。また、刃物、植木なども量販店の物とは品(鋼:はがね)が違うのでしょうか、購入する人も多いようです。 



【1月 鬼火焚き】 2019/01/05 ~燃え盛る火炎で邪気を祓い、無病息災を祈る~

この鬼火焚きは、管理人の住む時吉地区に続く行事の様子。昔は1月7日の七草の日に行われていたと記憶するが、今は必ずしもその日ではない。この日は、子供たちは書初めを行います。正月早々、心静かに筆を走らせ思い思いの言葉、願い、決意をしたためます。

 

夜になると、竹を組んだやぐらを焼く「鬼火焚き」です。昔は子供たちだけで100把位川辺で切り取ったものです。それを夜陰に紛れて盗ったり盗られたりしたものでした。今は親が主体となり子供有志が手伝います。祖霊とともに降り、飾りに着いた邪気を払うため、ここに各家庭の正月飾りも入れます。

 

暗くなるころ、本年度の厄払い者が竹やぐらに点火します。だんだんと火の勢いが増し、竹が破裂してパチパチと鳴りだしドーンとかボーンという身体に響くような爆音が轟きます。大きな火柱が何回か立つと周囲が熱くなって歓声が上がります。そして、なぜか気分爽快になります。子供たちはぜんざいなどを、大人は酒を酌み交わします。きっと心の中の邪を焼き払いピュアな心に戻るよう清め、祭っているのでしょう。

 

はっきりとした由来は解りませんが、昔の人は、災いや病気、悪霊をもたらすのは鬼の仕業と考え、これを退散させ代わりに健康や安全、無病息災、五穀豊穣を祈願する意味があるのではないか思います。


【1月 新春初泳ぎ】 2019/01/01 ~身心を清め、大志と健康の成就を願う~

元旦の朝、さつま町川原地区の川内川(宮都大橋上流 通称、下ンコラ)で恒例の「新春初泳ぎ」が行われた

 

水神様の神事の後、入念に準備運動をしやぐらに火が放たれます。すさまじく火が燃え盛るなか、泳者は水着一つになり「いざ、出陣」

 

そもそもこの寒中水泳、水泳宮之城の育ての親と言われる東郷清一先生の一言から始まった。昭和28年、当時の宮之城高校水泳部の面々に「君たち!元気が有り余っているのなら元旦に川内川で泳ぎ初めぐらいしたらどうだ」と持ち掛けられたのが発端である(宮之城文化11号)。以来、今年で66年目を迎える

 

気温5℃、水温9.5℃の中、小学生からOB・OG約100人が参加した。中には赤褌の参加者もおり、意気込みが感じられる。100m弱の距離を泳ぐが、管理人の経験ではプールとは違う厳しい距離、環境である。意を決して水に浸かるが、瞬間に胸が刺されるように締め付けられて息を吸うことが難しくなる。自然に過呼吸状態になるのである。皆、ウオーッ、ウオーッなどと大声を出しながら泳ぐのは、気合いをいれるのと同時に無意識のうちにも大きく吐いて大きく息を吸うためである、と思っている

 

ある意味、禊が終わったら焚火で暖を取りながらぜんざいで体を温める。一年の始めに難行を遂げ、身心の健康と幸せな年が待っている事でしょう。    動画はこちら>>