◎エッセー


◆仕事・働き方改善と本の発行 2021.3.29

 3月早々、目の手術を受けたのでHPの更新が滞ってしまった。巣篭もりの中、手術後は安静にしている必要があり約1ヵ月間パソコンに向かう機会が激減した。閲覧されている方々には長く更新せず申し訳なかったが、4月からは少しずつ本調子に戻ると思う。そんな中、1月に注文していた待望のタブレット(iPad8)320日に納入された

 

私の主目的は「線画(鉛筆画)や水彩画を描く」事である。これは趣味と宮之城文化への新たな貢献を想定しているが、iPadなどタブレットがバカ売れしていることやテレワークの普及など、仕事や働き方が目まぐるしく変わっていることを実感する。機能や操作の習熟に取り組み、機器類が格段に進歩していることも気付き、コロナ禍の中でICT化が進むという副産物を生み出している。また、A Uショップで80歳以上の方がスマホを購入しており、独居の方が子供たちとビデオ通信などで連絡を取るためと分かった。新聞ではタブレットでInstagramFacebookなどを通じて外部と繋がりを楽しむ83歳の方が紹介されていた。こんな地方でも高齢者でも新たな動きが出てきている

 

本の発行に際しては、編集・校正・校閲作業は非常に大変である。経験者でないとわからないと思うが、古い会員は「編集者は地獄を見る」と言う程であり、私は1516号の経験から「俺は奴隷かデカン(下男)だ!」と公言している。具体的な難儀は書かないが、とかく改善、合理化が必要である

 

iPadに習熟するには課題がいくつかあるが、ICT化で編集作業を改善しようと考えている。原稿入力の音声登録 手書き原稿の一括取込みによるデータ登録 原稿と、データの音声出力による突合チェック 編集作業分担化による負担軽減と協業テレワーク化 である。この原稿はiPadのワープロ機能を音声入力を使いながら書いている。変換能力を含め格段に進化しており、とにかくiPadは便利で使い易い。編集委員長を複数人でやることも考えているが、光通信環境、機材がまず問題でありスキルが大問題である。先ほどの積極的な高齢者に見られるように、挑戦的に取り組んで欲しいと考える

 

ICT化は、本やページの飾り、イラスト、カットなどにも大きな戦力になると思う。見る人を惹きつけるような本、綺麗であったり楽しい本になるよう内容面に加え、更に魅力的のある本に挑戦したい。あと一年あり、寄稿者を集めるとともにこの分野も充実させたい

◆春の兆しと巣篭りと鬱憤晴らし

35日(金)は「啓蟄(けいちつ)」。冬眠していた虫が目を覚まして地上へ這い出てくる時期。まさに春の兆しを告げる虫類の生態を基にした言葉、と今は自分でも理解している。なぜかこの言葉、初耳の感覚を今も覚えていて、なぜこんなに難しく意味の分からない言葉があるのだろうと思った。「啓」は「開く」、「蟄」は「虫などが土中に隠れ閉じこもる」意味で、「啓蟄」と表す言葉で春の季語でもあるという

 

体感的に少し早い気もするが、気分的には冬が終わり和らぐ春の訪れを感じる。昔の人は実に素晴らしい季節感、感性に満ちた人だったのだろう。私は昔、オタマジャクシのフニュフニュのたまごをすくい、指の間で切ったり触ったりしながら尻尾のついた変身中のカエルも良く見た。いたずらな実経験があったからこそ、季節感を感じるのだろう。中学生の時、私のクラスだけ他クラスと離れたところで上級の女生徒の歌声が音楽教室から聞こえ、「早春賦」の文字と話が聞こえてきた。意味は解らないが何ともロマンに満ちた早春を感じた記憶もある。本当にちょっとした出来事が記憶の底に残っているものだ。そういえば、5月末には幻想的な姿で人々を魅了するホタル!桜の咲く前にホタルの幼虫が川からはい出し、河川敷や田んぼに移動して潜るという。この光の行進と言える集団行動がまた不思議である。カメラを持って生態を撮ろうとしたが、残念ながらこの年齢まで光の行進に出会えていない

 

さて、「蟄」と言う字は時代劇で「蟄居」がでてくる。刑罰などで門を青竹で封印し、開閉・出入り禁止の処理である。そういえばミャンマーでは、「自宅軟禁」処罰であるとか、我が国では、StayHomeや巣篭りなどの言葉が乱れ飛ぶ。コロナ禍での自粛や制約に加え、私は白内障手術により、医者からもしばらく安静の日々を過ごすよう「蟄居」を仰せつかっている。何も活動しないことは苦痛である。人と話がしたい、出歩きたいと強く感じる。これは抑うつされた様なストレスだろう。気分転換や人とのコミュニケーションの重要さは制限されて初めて意識する

 

この期間の過ごし方であるが、どうしてもPCに向ってしまう。ニュース、ブログ、YouTubeでの歌あれこれ、このHPとコンテンツ作成、仲間とのLineやり取り、映画などである。考えると結構外部と接触していることになる。しかしながら生身の人間ではなく電子の世界だ。「郷土史探求会」でのLINEを介したやり取り、即ち情報交換、写真閲覧、郷土史の蘊蓄などは有難く面白い。人間味があるからだろうと思う。今、目の疲れや酷使を控えているが、2週間ほど我慢すればはけ口が出来ると思っている。今日のMSNニュースで、スーパーに買い物目的ではなく、おしゃべりに来る人がいるらしい。レジ前で並んで話しかけて去ったり、店員にどうでも良いことを話しかけるらしい。また、注意しても週末に家族そろって来る人たちも多いという。店員は「スーパーは人間交差点だ!人間模様がある!」と言っていた。人間、俺と同じような心境の人がいるみたいだ。…春の話から飛び過ぎて申し訳ない(笑)

◆旧宮之城線~青春・夢・人情・昭和の思いを運んだ列車 2021.2.1

関白道を一休みして、別件で急遽永野金山関係を調べた。その際「旧宮之城線」に興味を持ったので先に本稿をUPする。私は、実際に利用したのは宮之城→川内間であるが、幼いころからの思い出、先輩方の見た景色、友人が利用した沿線、鉄道敷設経路、永野駅スイッチバックなど調べてみた

宮之城線は川内→大口間である。まず、路線は川内川左岸で、出来るだけ多くの「住民の足」になるべく結ばれた路線である。現代の新幹線であれば、スピード、経済性を重視し直線的に停車駅は極力少なくする。宮之城線は全くこの逆である。地図上をプロットしてみると、川内、宮之城間も曲っており、鶴田、大口間は実に遠い寄り道、回り道である(永野金山と結ぶためと言う)。永野駅は昭和121937)年開通し、永野金山は昭和28年に閉山、昭和62年全線廃線となる間、多くの人々が利用した

小辻会長は廃線となる昭和62年に次の詩を読んでいる。一節を紹介すると、
 予期された出来事のように 或る日 線路がなくなった 秀才も 不良も

 勤め人も 旅行者も あの線路の上を 平等に揺られて走ったのだ
それぞれの駅からそれぞれの人々を「仕事・青春・夢・希望・人情…」を乗せ目的地まで運んだ宮之城線。大口・永野といった山間部より川内を目指し各駅停車の曲がりくねった長い道のりをゆっくりゆすりながら走った。「ゆすり」と言えば「金を貸してくれ!」と迫る先輩。芯からのワルではない懐かしき方々や日々。永野の友人は、朝4時に起き弁当を作って駅まで走り、毎日一番列車で川内まで3年通った。汽車は人に苦労も便利も与え鍛えもしたと思う。そして昭和のペースで、時代を町を鈍行で駆け抜け、風景風物を頭に刻み人々の人生ドラの1シーンを作った。都会で在来線の快速、急行列車など初めて知った。この路線にはそれは似合わない

小学生の頃は黒煙を吐く蒸気機関車(SL)だった。湯田の踏切で手を振ったら、おじさんが10円投げてくれた。うれしさと感激で今でも覚えている。レールに耳を当て、近づいたり遠ざかった列車の音を聞いて友達と言い合った。石炭の燃えかすの匂いを嗅ぎ友達の髪の毛に当てて引っ張り合いもした。現日本特殊陶業付近は坂であり、一段と音高くゆっくり進んでいるようで青息吐息の生き物に見え、「シュッシュッポッポ」の音はまさしく「銭ん取いじゃっどん てせこっじゃ」と言っているようだった

永野駅は列車がバックをするスイッチバックで、K氏に聞くと宮之城から来たSLは停車後先頭の機関車は客車を切り離し、機関車回送線でバックし客車の後部に前向きで連結する。この列車編成で大口に向かう。客は前後向きが逆になり、機関車は先頭で「後ろ向き」で引っ張る(笑)。沿道の人は汽車とはこんなものだ、という認識だったらしい。また、湯田駅から佐志に向う時、出発してすぐカーブで上り坂となっており馬力が弱く特に雪の日などは上り切れない時があった。このため、かなりバックして助走をとりスピードをあげて登り切ったらしい。ここも予期せぬ不定期なスイッチバックではないか!。機関士さんは忙しかっただろう

 

注:後日、永野駅のスイッチバックを書いた資料を見つけた。SL時代は上記に間違いないが、ディーゼルカー時代は「列車は直角に曲がり大口方面へ向かった」とある。転車台はなくても軌道の工夫で列車編成、進行方向は同じで大口へ向かうことができる

 

ディーゼル車になっても懐かしく、郷愁や四季の花々、風景の宮之城線。レトロな駅舎の宮之城線の写真をUPする(永野駅にある写真を転載した)

◆二十四節気 2021.1.5

最近年をとったせいか「古きもの」に興味を持つ。新しい年を迎えたこともあり、二十四節気について書いてみたい。父の代で農業は終わったが、少しは農業の遺伝子の欠片があるのか愛着を感じる。その成せる技か、以前「十干十二支」を覚えたり、正月に『かごしま暦』を購入し古来のことを改めて紐解いた。特に…と言うより頭に引っかかっている思いがある。なぜ旧正月から新暦1月1日を正月としたのか、中国出張の際、春節(旧正月)の民族の大移動や街の賑わいはすごいものがあり私たちの方がアジアの中の異端児である、と思った。実際の季節感と二十四節気は「ずれ」や「ピンとこない節」もあるので私達は二重基準で生きている気がする。コンピューターを代表する正確さの時代なのにどうしてだろう?例によってインターネットから調べてみる(記載事項の出所はネット情報)

旧暦(大陰暦)は、日本では平安時代から使われている暦のことで、もともとは古代中国で農業の目安として作られた暦である。春秋戦国時代(BC.770BC.221)黄河流域(洛陽付近=北九州付近の緯度)で作られたと言われる。江戸時代まで旧暦を使い、明治5年12月3日を明治6年1月1日と決め、新暦が始まる(まだ140年程しか経っていない)。旧正月を使わないのは日本だけであり、その理由は①「日本が脱亜入欧政策」により西洋化推進説。アヘン戦争をきっかけに中国と距離を置き、西洋から学ぶことにした日本は暦も西暦を導入したという

 

②「明治政府の財政状況がひっ迫していたため」説。丁度13ケ月の“うるう年”で給料を支払わないため、財政難の明治政府が脱亜入欧を口実に旧暦を廃止したと言われる。いずれにしても天皇のお達しのため、全国一斉に素直に移行したらしい(現在なら反対論囂々だろうに)

 

日本気象協会は2011年に「日本版二十四節気」を作成する運動を展開。若い人にも親しみやすい日本の季節感により合った言葉を集められないかと、各界より成る専門委員会を組織し、現代日本の気候風土や慣習になじんだ言葉を一般から広く公募した。ところが、多く寄せられたのは反対意見で、特に二十四節気を軸に歌を詠む俳句愛好者からは「言葉の意味が変わってしまったら季節の定義そのものが変わってしまう」と、大問題と受け取られる事態になった。専門委の俳人からも「変えてはならない」と反対意見が上がり、最終的には「二十四節気は変えない」となった

 

しかし、言葉の募集は行い春夏秋冬それぞれに1000を超える言葉が集まったという。七五三や入試などの行事や出来事、植物の名、東日本大震災のこと、個人的な思い出を感じさせる熟語など実に様々なカテゴリーの言葉があったそうである。結果的に、これで良かったのではないだろうか?日本は南北に長く、所により季節も色々である。加えて温暖化の影響もある。強いて言うなら内陸部の長野や岐阜県が合うかも知れない。また、「キチキチかったり」の正確さを重んじる理系的発想より、風流を好む文系的で、大らかで「感性」重視が合うのかも知れない。すべからく正確ではなく曖昧さも必要なことも有るだろう

◆故事成語、続き(最終) 2020.4.6

・「湯田とっくり」は、お酒を飲む「徳利」です。お酒を飲みながら懇意になり、打ち解ける中で説明し、信頼を得て賛意を得ることです。「湯田とっくい、かたげて踊れ」というユーモラスな言葉もあるようです。大久保利通の畳廻し芸や西郷従道の裸踊りも交渉の場であったそうです。お酒文化は、合意の難しい交渉になると、芸や踊りが出そうになる面があります。役人さんも十八番芸で皆さんの心を懐柔したのでしょう。「湯田とっくい担げて踊れ」は座布団3枚位の〝めい言〟ですね

 

・「紫尾びんた」は、「頭」の「デカ・ヘッド」や「頭脳優秀」の通俗解釈ではありません。〝トップ〟の権力者、権威者です。その影響力で全体の賛意を得る、との見方です。当時は、どこでも集落では士族や豪農であったり、家庭では家父長です。〝鶴の一声〟〝上意下達〟で決まります。〝びんた〟の説得に注力し、影響力で賛意を得た。紫尾にこの方式を象徴させて「紫尾=びんたの影響力」です

 

・「神子かため」です。かためは〝固める〟と解釈しました。真面目モードでは、「荷物などを担ぐ、かためる」ですが、湯田で担いだのはここの人になりかねないので今回は封印します。神子や鶴田は、水田面積に加え山林を多く抱えています。藩林の平江は仕立山で山の民もいます。国有林払い下げに応じたら、上流の賛意が怒涛の様に下流に伝わったかも知れないのです。神子は、この例のように賛同し易い村だったと思われます。先導してもらうことで全体の一致を図る。「神子を先に固めて他村を説得する」です

 

これは、地区の特徴に意味づけたものと、何処にも適用できるものがあります。また、背景の設定は別として、一般的交渉における「交渉術」でもあると思います。 役人の作なら、真の意味は一般に流布しにくく、混乱が生じ「仏作って、魂を入れず」かな?さて、皆様!この屁理屈創作解釈、楽しめましたか?

◆故事成語、続き(No.2)  2020.4.2

まず、キーワードは、『対象を説得し、賛意を得るための基本的態度』です。

 

シチュエーション

 大正生まれの人が聞いていることや郷間を跨いでおり、時代は明治以降で間違いナシ。この頃の農民の課題は地租改正。藩政時代の〝重貢租〟を引きずり、骨の髄まで染みついている。その手の話には拒絶反応を示し、「上に法あらば、下に対策あり」で抵抗する。いい話なのに頑固に聞き入れない農民に、政府から地方に「説得せよ!」の令が下りただろう。県や町の役人が、管轄を跨る答院地方の東北部に固まっている、時吉・佐志・湯田・柏原・神子・紫尾の、六農村を担当になったと想定できます

 

使命は、旧態依然とした悪習・因習を脱却するため、農民に解ってもらい、賛同してもらうことです。その過程で、誰かが特徴を捉え、故事成語としたのではないでしょうか? 言葉の意味がいくつにも取れるのです。遊び心もあったかも知れません

 

私の考える「真意」

故事漬太郎の「創作的解釈」に入ります。これが「真実」とは言っていません。ヨロシク!楽しんで下さい。

・「時吉ごそうだん」が、「護送団」だったら機動隊が出動するでしょうが、どんな団体か解りますよね。時吉は、温和な人たちですから身構えて臨むことではなく、「ご相談」でしょう。ひたすら内容を解ってもらい、誠実に説明して賛同を得る目的です。接頭詞の〝ご〟が付く位、下手で敬いなら相談が必要だった。「時吉は、丁寧にご相談せよ」の極意となった

 

・「佐志てねげ」は、相手がうるさ方や難物揃いなのでしょうか?言が立ったり、一言居士が多い説得に汗をかくことから、満願成就を達成するために、手拭を持って日参し汗をかく覚悟、粘りが必要です。「佐志には、手拭を持つような努力をせよ」となった

 

・「柏原しょうけ」は、発音の違いで、いろいろなバリエーションがあります。「しおけ」や「しょうけ」の、酒の肴、即ち、料理の「塩気」。「じょうげ」は「法螺貝」。「じょうぎ」は「定規」だが、今回は対象外とします。本命は「しょうけ」、「しょけ」の「ザル」です。「ザル法」やザルみたいに掬っても漏れることを連想します。説得に当たっては、この法はザル法ではなく、「天網恢恢疎にして漏らさず」で「天罰を逃れることはできない」と脅しの説得です

 

田畑を旦那衆の名義にするなど、姑息な手を使っています。そういうのは効かないよ、と逃げ道を塞いだ訳です。賛意は自分の損害はないので、従うでしょう。「柏原=しょうけ」の背景にはこんなことを想定しました。ここは難問でしたが、会心の我流解釈ができました

 

あと3つの村は次回。「湯田」はおもしろいよ!


◆難しいことは簡単に!故事成語 さつま町の超難しい、こ・と・ば(No.1)  2020.3.27

その言葉はズバリ、

 「時吉ごそんだん、佐志てねげ、湯田とっくり、柏原じょうげ、神子かため、紫尾びんた」です。「言葉は知れど、意味は多種多様」です。私は真面目に取り組んだが、纏まらず原稿を五~六回ボツ。悶々としていたら、ある時、

「難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く、

 面白いことを真面目に、真面目なことを愉快に、愉快なことを一層愉快に」

と、井上ひさし氏の言葉が浮かびました

 

瞬間、気が楽になり、「もっと簡単にやろう!」となったのです。そしたら、何と、何と…「共通キーワード」を見つけたのです。六村に共通することとは?

 『#$%&……~-$%/%&……$%&$#』です(まだ、ヒミツです)

 

各地に、個別の〝俗諺〟はあるのに、六つ纏まっているので誰かがまとめたと思ったのです。その人が六つの村に関与した結果だと考えは進み、最後に先の共通キーワードに思い至りました。これは真面目を装っていますが、言葉遊びと捉えて楽しんで下さい。ペンネーム〝故事漬太郎が、めい解釈〟をご披露します

(もったいぶっていますが、乞う!ご期待。何故、「ザル」が?)


◆「宮之城猫」って何だ? 2020.3.21 By m2kzn1k

最近、イベント自粛モードです。本文をUpします。

ぺージ冒頭に問い合わせをしてあります。その中から本文を紹介します

「宮之城猫」を初めて聞いた時、焼き物の招きネコかと思いました。こういうのは俗諺と言われます。先輩方も知らない方が多いでした。私は、思わぬ方向に想像してしまいました。これは、「宮之城の特徴を表すもの」「栄えあること」かと思いましたが分かりません。考えていたら侮言が出てきました

 

藩政時代であれば、郷間の士レベルでも競争心、やっかみ等、色々な感情で吐かれる可能性があります。宮之城郷に猫が多く繁殖する筈はないので人士や郷に対する悪口でしょうか?。例えば、島津体制において宮之城郷は身分も高く家老職を担当するエリートです。尚武の気風高く武が尊ばれるなかで、武闘や思想が弱いと見られたら宮之城代表は「虎」ではなく「猫」がピッタリです。虎居城ではなく猫居城か猫城でしょう。イケメンなら尚更でしょう。面と向かって「おい!貴殿らは猫みたいだな」とイチャモンを付けられたら、風采も相まって「何ーッ!お主こそネズミだ、牛だ」と言い返すでしょう。変なレッテルを張られたら困ります

 

外城レベルの俗諺は、城下の政治の場で生まれ、各郷に伝播した、とも考えました。また、墓石と寺の宗功寺が誇りかと思いました。亀・牛・馬・犬・鶏などは墓に彫刻はありますが、猫はありません。もし、有っても目立ちません。「文句を言うな、儀を言うな、猫のように従順であれ!」は違って欲しいと思います。「猫みたいな男になるな!」、の反面教師かな?とも考えました。猫出現で、謎が深まりましたが、別のヒントを得ました

 

明治以降の「蚕」です。広域に桑を植え、蚕を育てて繭が売れました。小規模の製糸工場から後には片倉製糸工場もできました。この産業で宮之城が隆盛し、多くの人々が流入しました。猫は、その家で暮らし、可愛がられお世話になっています。他所から出郷し、生活の基盤が宮之城にお世話になると、それは「猫」と同じです。取引のある人もです

 

どちらかと言うと、他郷の方々が感謝や自己の身の上を例えて「宮之城猫」と言ったのではないでしょうか?「宮之城の犬」はおかしいですよね。冒頭に関連し、「お金、景気、人、幸福」を招いたのなら大歓迎です。侮諺なら名実共に死語になって消えて欲しいです

 

合っているか解りません。意見があったら教えて下さい


◆ふるさと讃歌、「Cafe de さつま」に寄せて  (会員 圖師 たつ子)~「宮之城文化」第14号より  

 「Cafe de さつま」という歌を聴いたことがありますか? さつま町に

 お住まいの方なら、歌詞だけは絶対に聴いたことがあると思います。そ

 れは、夏祭り等でお馴染みの、さつま町民のための「あの歌」だからです。

 「春はよかよかまこてよか‥」という歌い出しのこの曲を、…略… 本

 当に秀逸だと感じ入ったこの曲を、作詞者の「甫立洋子様」に敬意を表

 しつつ、ご紹介させていただこうと思います

 

  ♪春はよかよかまこてよか 梅に桜の花盛り

   緑豊かな竹の郷(さと) そろたそろたよ

   みんなでドント     心ひとつに さつま町

 

 盆地特有の厳しい冬を乗り越え、迎える春の待ち遠しさ。早春真っ先に咲き
   始める梅の花は、心洗われる清々しい香りを放ち、やがては特産の薩摩西郷梅へと実りを繋げます。そして、満開の桜
 は春爛漫の喜びを、筍はやがて目に鮮やかな新緑へと姿を移していきます

 

  ♪夏はよかよかまこてよか きらり若鮎ほたる舟

   清き流れのせんで川   そろたそろたよ

   みんなでドント     歌もひとつに さつま町

 

 鮎祭り、ほたる舟は今や恒例の人気のイベントです。川面に浮かぶ舟から見る蛍の姿は幻想の世界に誘ってくれま
 す。これも清い流れの川内川あってこそ! 豪雨災害からすっかり立ち直り、カワニナも帰ってきた川を、私たち

 は大事に守っていく努力をしていきたいものです

 

  ♪秋はよかよかまこてよか   稲は黄金(こがね)に米どころ

   田の神(かん)さあに彼岸花 そろたそろたよ

   みんなでドント       笑顔ひとつに さつま町

 

 黄金色に輝く一面の田んぼの景色の中 、にっこり笑った田の神さあ。鮮やかな彼岸花の美しさも目に浮かぶようです

 

  ♪冬はよかよかまこてよか    温泉(いでゆ)の郷(さと)に五ッ太鼓(でこ)

   白い川霧(かわぎり)紫尾の雪 そろたそろたよ

   みんなでドント         夢をひとつに さつま町

 

 遠くからも訪ねて来られるほど人気の温泉が豊富なわが町。冬には特にそのありがたさが味わえます。「白い川霧・紫

 尾の雪」言葉にすると、その絵になる景色が一層引き立つ思いがします。「五ッ太鼓」を「イツッデコ」と普通に読め

 るのも、わが町ならでは…ではないでしょうか。そして五番の歌詞は、

 

  ♪いつもよかよかまこてよか 老いも若きも手をつなぎ

   愛にあふれるまちづくり  そろたそろたよ

   みんなでドント      未来ひとつに さつま町

 

 これぞ理想的な町づくりの形!という締めくくりです。今回この歌を、五ッ太鼓と踊りの喧騒の中で聴くのとは違う、
 ゆったりとした曲で聴き、歌詞の素晴らしさを感じることができました。聞くところによると、最初からこちらのメロ
 ディの評判は良かったとか…。しっかり歌詞を感じながら歌うと、こんな町になったらいいな、こんな町に住みたいな
 という思いが沸き上がってきます

 

 そして、これからも私の住むこの町を大切にしていきたいなと思えるのです。こんなに素敵なわが町の歌を作ってくだ

 さった、作詞作曲のお二方に、この機会をくださったM先生に感謝の気持ちでいっぱいです。皆さまもぜひ歌ってみて

 ください。「Cafe de さつま」、まこてよかよー。~嫁ぎきて この地に生きて 三十年 生まれし土地を問われなくなり

 

 少し趣が違いますが、こちらで「さつま町民音頭」を紹介しています(3分40秒当りから)


◆ふるさとは生命と文化の母体である   (会員 故 松下 芙二雄)~「宮之城文化」第9号より

 わが遠祖たちが狩猟・遊牧の暮らしから、定住して農耕を主とする暮らしを目
 指した時、まずその場所の環境(特に安全と衛生、水利)を見極め、修祓を行
 い、祖霊に許しを乞い、産土(うぶすな)として鎮守の杜を定めて祭祀を第一
 に執行したであろう

 

 以降、代々の祖先たちが亡骸を埋め、霊を留めて子孫の繁栄と幸せへの祈りを
 累積してきた地である。そして、われ自信がこの世に生まれ出ることを許され
 た、かけがえの無いこの地が「ふるさと(故郷)」である

 

 人は成人して、新しい地に新しい暮らしを多く求める。太古の漂白民時代の血
 がなお引いて唆(そそのか)すのだろうか、「ふるさと」は「行っておいで」
 と快く送り出してくれる。しかし、ふるさとは人の意識の有無を超えて体内の遺伝子の中に栖み続け、時として激しい
 郷愁を誘い、童謡「ふるさと」等を口ずさみながら密かに泪して自分の出自に思い至らせる。そして、ここに存在する
 こと自体があらゆる加護の賜物であることに気づかされて、明日への希望と活力を取り戻しながら生を紡いでいるので
 はなかろうか

 

 毎年繰り返される越年迎春と夏の祖霊祭祀(墓参り)へのふるさと帰省は、年二回の民族大移動とも言われ、将来とも
 廃れることはないだろう。また、都市・地方を問わず風俗ともなっている初詣、七五三、神前結婚、安産・安全・合格
 祈願、諸々の結果報告、お礼参りなどに、最も素直な心で頭を垂れて祈っている。鍵はそこにあると思えてならない 

 

 戦後の混乱期からいわゆる高度成長時代、そして現在も人口の都市集中が進むなか、地方、特に農山漁村は過疎高齢化
 が一層深刻化して衰退が止まらない。田園はまさに荒れなんとする危機的状況にある。また全体的に社会の基本的なル
 ールも崩壊かと案ぜられ、青少年の精神的混迷もますます顕在化する現状は、数十年に亘る経済偏重社会、それに伴う
 「ふるさと」の衰退に大きな因果があると思われるのだ

 

 ふるさと回帰、縦思考(生命の流れ、歴史・伝統文化等)の回復と、自然を中心に快適に定住できる「ふるさと再生」
 こそが、これら重症への特効薬となるだろう