令和2年12/30の南日本新聞の「かお」欄で本会会員で県議会議員の藤崎剛さんが紹介されました。自身を「歴史の隙間の掘り起こし屋」と任じ、明治13(1880)年の第1回県議会の動きを調査し勉強会や講演をおこなっている。資料を調査すると西南戦争後の混乱期、県土復興を目標に議員や職員の頑張りや切磋琢磨の様子が浮かび、現在の県議の立ち位置を見直すことにもなったという。議員以外の活動にも力入れ多方面での活動にエールを送りたいと思います。講演内容を知りたく資料をお願いしました。また、機会があれば本件を含み、講演ができればうれしく思います
◎さつま町議会議員の『宮之城文化16号』購入
当誌の販売による「さつま町を知ってもらう」の一環で、さつま町議会議員16名の皆様に購入いただきました。議会議長の平八重氏と議会事務局を通じて購入の打診をおこない、全の議員さんに購入いただきました。実は過去数号より購入いただいているのですが、今回は文書と議長を通じて購入の意義などを話してもらいました。決まりきった行いと考えるよりそれなりの働きかけをおこなっての事であったのでうれしさもひとしおです
議員さんに注目してもらいたいことは2点あります。一般的に体育スポーツ活動は旺盛であり皆さんが注目もします。また、取り組む人やOBなども多く補助なども多いと思います。この点、文化活動は際立ったものはなく地味で目立たなく、活発とは言えません。その分、補助も少なく感じています。こんな状況の中、我が宮之城文化懇談会は隔年毎に『宮之城文化』を発行してきました
本誌は、さつま町に密着した郷土史的な文芸誌であり、ふるさとを愛し、歴史・文化・文芸・民俗・芸能・芸術の文化を発掘、発信し、明日への展望、豊かな心を開くことを大きな願いにしています。ふるさとの良き点・見新しい点、別の視点や考えなどを記載しています。文科系の中では少し変わった活動を継続的に行っており、是非、議員の皆様にお読みいただきたく考えています。町民の考えや意識、文化面をご理解・ご指導のうえ、今後の議員活動に役立てていただければうれしく思います。ご購入有難うございます
◎『宮之城文化16号』南日本新聞に掲載
10月27日(火)南日本新車の地方欄(12面)に当誌の掲載がありました。心待ちにしているいろいろな方々へ紹介できてホッとしています。新聞による広報は影響が広く伝わりありがたいことです。寄稿くださった2名の方のインタビューを含め内容が記載されたことは喜ばしいことです
しかしながら、私は少し期待外れがあります。実は、取材は9月18日にお願いし行われたのです。2回の未掲載確認を行いながらも実に40日後に掲載されました。新聞社に文句を言うわけではありませんが、これはどういうことでしょう。明らかな「遅かりし記載」「鮮度落ち=期待度薄れ」を否めません。従来の号では全くあり得ないことが起きてしまいました。私たちの対応、受け答えも問題があったのかもしれません。決して『宮之城文化』を軽視したこととは思いませんが、今後は我々も気を引き締めたいと思っています
◎『宮之城文化16号』の動きについて
9月10日に待望の16号が完成しました。この日、9月度編集委員会に合わせ納入してもらいました。さっそく編集委員9名で食い入るように新刊に目を通し出来栄えを確認しました。見た第一印象として、従来の本と異なる部分に気づいたようです。表紙のデザイン、冒頭部分のカワー化、ボリュームで「従来と違う」という印象を受けたと思う
最終的な製品(本)となれば、従来の原稿を部分的に見るのとは違います。「完成の本」は存在感があると言うか、いままでの努力が実った結実と思えます。口々に「だんだん良くなってきている」「オオーッ、これは良いわ」などと口に漏れ皆さんが気に入ったようです
改善点や、こうすれば良かったという点は自分自身感じています。例えば、詩歌について、もっと目を引くような演出で、カラー化や枠や縁、カット絵など工夫の余地はたくさんあります。これは次回の課題に挙げたいと思います。また、特集テーマや取り上げたいさつま町での取り組みや人物など、後になって出てきてしまいます。感じたことをしっかりメモしました(これまで使ったことのない「OneNote」に書き入れました)
今回を通じて、新たな人材と知り合えたことです。会員へ誘っています。若手の方にも入会してほしい方もいます。編集委員会で話を投げかけました。5年後、10年後にどうなるか?と。80歳を超えたらリタイアを想像している方、意欲のある方、あまり考えていない方、いろいろです。平均寿命が男性81歳、女性84歳位を意識してのことだと思います
今回、85歳前後の方の原稿は、原稿用紙にきれいに丹念にかかれ、内容と合わせ素晴らしさに“感動”しました。88歳の方のエッセーもしっかりとした文なのです。93歳の方の記憶力や文章表現も立派で、年齢の問題ではないな!と思いました。文章を書くことは絶対、老化を防いでいると感じました。
今回は、町内の公民会を通じた回覧を回します。そのための16号の特徴を記した「宣伝チラシ」を作成しました(HPのページ案内と同じものです)700部超ですが、皆さんにみてもらい「さつま町の文化・伝統・歴史」を知ってほしいと思っています。次回は編集委員長の苦労(愚痴かな?)を少し書きたいと思います
小学校6年の時、家のすぐ下の川内川で水遊びをしていたら東の方向から爆音がし戦闘機が見えた。日本軍機と思い、手を振り「万歳、万歳」と叫んだ。するとバリバリという音と共に急降下をし、竹林からギュイーン、ギュイーンと音がし竹林や樹々が引き裂かれた
米軍機と分かり、岸の土手にうずくまり震えた。また、川下の虎居橋を狙ったと思われる水柱が立ち爆弾が投下されたとわかった。初めて見る戦闘の破壊力やスピードが突然目の前に現れ、恐怖に襲われた。昭和20年7月27日のことである。
(2020.7月、増水した広瀬付近)
会長の小辻清行さんの体験が南日本新聞社の「証言 語り継ぐ戦争」で発表された。現在86歳で75年程前のことである。この強烈な印象は残っているのだろう。役員会や個人的に話をする時、断片的ではあるが聞いていた。新聞でこのように取り上げられ、うまくまとめてあるので改めて事の重大さがわかった。私の、既に亡くなった従兄も学校帰りに空襲に会い、防空壕に避難したと話したことがある。恐らく同じ時期の体験だったと思う。口頭では聞いたが、文章で表現することはよく解り、重要なことだと思い知る
川内川の「広瀬」は、子供たちの遊び場、大人の魚とり場・繊維関係の仕事場で、その昔は西南戦争で官軍が渡河したところである。平穏な時は、景観もよく平和そのものであるが、いずれも戦争では血なまぐさい。子供を含む一般の人々は、戦況を正しく知らされなかったことや、国民一丸となって国のために尽くす気持ち・精神・気概を打ち砕くために田舎の民間攻撃をしたのかも知れない
目の前に突然こんな状況が生まれ、当時の人々は驚愕したことだろう。その後の終戦で日本全体の常識や教えや風潮が激変していくことになる。1945.8.15を境に日本は生まれ変わるのだが、昔を全否定ではなく、良き点だけは生き続けて欲しいと感じた
前回に引き続き『宮之城文化』16号の進捗について書きます。かなり明確になって来ています。まず、本誌の発行に欠かせない理解と支援をしてくださる協賛会員の方々に御礼を申し上げます。併せて、寄稿いただいた方々に感謝いたします。コロナ禍の中、協賛依頼を行うのは心苦しい面がありましたが、笑顔で支援して下さる方、新規に加わっていただける方々の姿に接し感激いたしました。そして自分達の責任、絶対いいものを作ろう!という気持ちをより強く持ちました。原稿も好調で途中で締め切りをしました。42点240ページ超の冊子になりそうです。これは過去最大の分量になります
さて、その内容ですが、今回は「さつま町を元気付ける」ことを第一目標に「よき、ふるさと」で特集1を組みました。これは当会の創立理念である、ふるさとの文化、歴史、生活・伝統などを発掘し発信することそのものでもあります
<奥薩摩抒情詩の一部>
私は、ここに自信を持っています。歴史を含め、色々な見方でよくこれだけユニークなものが集まったと思います。
また、詩歌句もよく精進されていると感じました。私には出てこない素晴らしい感受性で自然や生活などを読んだ句には感服しました。保育園児にも参加してもらい、ほほえましい姿が目に浮かびます。そして、無いといけない歴史!。最初少なかったのでわたしも虎居城について書きました。勉強したら新たな発見もありました。苙(おろ)の話も圧巻です。これは「馬」に関する話です(詳細は乞う!ご期待)。ここまで話を詰めて明らかにするのは大きな努力です
実は、役員さんと山崎の徳重さんに協賛依頼で行きました。畜産で有名なかたですよね。「苙」を寄稿した彼は14号で玄心・玄珍についても寄稿しています。徳重さんと話をするのに、玄心・玄珍も苙(船木の家畜市場付近)も、地域と関係していることに驚き役立ちました。現在の名伯楽ではないかと思いました。歴史っておもしろいですね。他にもユニークな方に“偶然”か“必然”だったのか、良い出会いをしました。いい方向に進んでいる実感を感じます
そして、前回言っていましたが、読書を進める中で少し休憩やティータイムも取れるように構成しました。ここは、本音の声やリラックスコーナーです。楽しく読んでもらえればうれしいです。これから、印刷屋さんに渡し製本の過程に入っていきます。早くて9月には出版予定です。是非読んでくださいね
現在の閉塞感漂う雰囲気の中、特に原稿の集まりに消極性や遅れを感じます。先々の安定性や見通しがはっきりしないと不安になるのだと思います。緊急事態宣言は5月の連休明けまでですが、私たちも動きができません。注視しています。しかしながら、16号は予定通りに出版できるよう考えています。明るい気分になれるように「花」の写真を挙げます
16号については、いろいろな構想があります。第一に「ふるさと、さつま町のアッピール」を本号の目玉にしたいと思っています。既に、いくつか原稿があり、今後でてくるであろうものも期待しています。これはPart1、2を計画しています。次に、従来「堅苦しい」面がありました。しかし、宮文懇の基本、作風は変えません。少し、コーヒーブレイク、休憩コーナー的な読書の気分転換コーナーです。これもPart1、2ができたら良いなと思います。
私は編集委員長を仰せつかっていますのでいろいろ考えさせられます。昨今は活字離れ、SNSによる写真や短文化です。これは強敵です。若い人も高年齢の方もFacebookなどの独占状態。わたしもFbをやっていますがなじめないのです。やはり、ある程度書き込まないと言うことを言えないし、Fbではその場だけで時間が過ぎゆく気がして合わないのです。FBで文化懇談会のページを作るよう考えていましたが実現しそうにありません。立ち上げたとしても書きようがないし、「いいね」などのフォロアーもつかないと思います
このこともあり、発信せず見る専門です。しかし、これは私のためになっているのです。刺激を受けています。写真や人の感性を知ることです。写真は、撮影者のセンス、感性に感心します。これは、私の写真人生にとってプラスなのです。各人の日常の中でのUploadも「気づき」や「世の中の出来事」を教えてくれます。だから頭がリフレッシュされ若かさが保たれるのでは、と考えています。
パソコンで各種ブログや政治・海外・世の中ニュースを毎日見ています。以前は1日に2~3時間位、今は1時間以下に短くしています。16号の編集作業があるのでセーブしています。ある会の副支部長&書記も退任させてもらいました。実務は大変なのです。これで、16号に少しは集中できるような環境は作れました
悩みはあれど結局、楽しんでいる面もあるかも知れません。表紙は何にしようか、見返り部は何にするか、自分のペンネームにするか、匿名にするか、文中の挿絵やイラストは…、少し冗談っぽいものばかりだったので真剣なものも書きたい…等山積しています。コロナウイルス禍を心配していますが、何としても早く収束すことを願います
役員としては少しリキの入る定期総会。当初、出席者20名超となり、まアまア。が…、さすが高齢者の会、15名に減少。会員は41名いるが、途中キャンセルを含め、なぜ多くの人は出席しないのだろう?出席率40%だ。懇親会費は無料にしているにも拘わらず??。ん~ん、会に魅力がないからか、気まぐれか、きっとウルマンの言う「青春さ」をなくしたのだろう。逆に、退会せずに冊子『宮之城文化』とそれを発行する文化懇談会には所属意識が高いことは感じる
来年からは、魅力ある行事にするよう不参加の方にそれとなく欠席理由を聞きたい。それによって対応し要望を聞きたい。発表テーマ、男女の区分、抽選会・参加賞etc.の対応をとりたい
会員発表は、わたし松木囿がフォトムービーを7点30分発表した。昔の思い出宮之城、会の研修実績、郷土芸能であった。余り強い反応は感じられなかった。続いて総会資料の報告。少しポイントの入れ方がおかしく、承認などの基本事項が抜けてしまった。まだ未決の役員説明は現執行部が責任をもって決める、との信頼を含めた承認をとれば良かった
資料について一言。中身は問題ないと思うが、表紙を問題にしたい。従来は景色や研修会での集合写真を用いていたが、古色蒼然としており変換、即ち「チェンジ」を感じない。その意味で表紙に「デザイン性」を加えた。同時に宮之城人形を入れることで「伝統」も継続しようとした。これは、『宮之城文化16号』の表紙や構成の新たな試みを意味している。加えて女性のアイデアや役割を強化したい
懇親会も、もう一つ盛り上がりに欠けた。役員は、自分の楽しみは二の次にし「おもてなし」すべきだ。役員以外の方は出席して気持ちが良かったと思われるように、相手のことを聞き出し賛同を得たり、議論を深めるようした方が良いと思う。例えは悪いが、飲み屋などにおけるNo1女性の対応などを見習うべきである。相手が孤立っぽくなったり、我が武勇伝などを話すことなど最悪だ
総会資料はこちら>>
~会員の横山より子さんの意見が2020/2/7 南日本新聞の「ひろば」に掲載されました~
下の記事に続き、横山さんの「まずは人と人の心のつながり」が「ひろば」欄に掲載されました。主旨は、町内にベトナム女性を見受けるようになり、町女性大会を通じて交流が計画されました。そのため、彼女らとの交流が主催されました。12名参加してもらい、ボランティアさんの協力で、髪のセットや着物を着てもらいました
そして、ベトナムの国旗や歌で迎え、さつま町での驚きや困っていることを対話しました。通訳さんもいるが、彼女たちは日本語で一生懸命話そうとし、コミュニケーションが取れとても喜びました。このような体験から感じたことは、「異文化交流などというかしこまったことではなく、人と人の心の繋がりが大切」と感じました、という内容です
~会員の横山より子さんが、新文化施設、移動図書館について質問~
町内の女性が一日議員となって町当局に質疑する女性議会が開かれました。この試みは、女性の声を町政に反映させるのが目的です。今回は高校生を含む各分野の女性7名が登壇し、女性の感性・目線で日頃の思いを堂々とぶつけました。6番手で当会会員の横山より子さんが登壇し、次の事項について質しました
①新文化施設のコンセプト、プロジェクトチームの組織、進捗、進め方
②手軽な読書機会、広域サービスのため移動図書館車の導入について
これに対し、原園教育長より次のような答弁がありました
①既に7億円積み立済み。検討委員会を設置し、副町長、各係長22名でコンセプト、規模、機能や活用、予定地など
4グループに分けて進めている。決定事項はまだない。11月に検討委員会に報告する。財源や利用者、ワーキング
GRPなどを通じて町民の意見を反映していく
②移動図書館はコスパ的にも趨勢も縮小の傾向であり、現状の配本サービスを充実し、多くの町民が利用できるよう
にサービス向上を図る
新文化施設は私たちにとっても夢のある話です。今後、「要注視」です。また横山さんは父親の経験から、 高齢になりGゴルフなどのアウトドアの活動ができなくなると、本や新聞、文化祭、美術鑑賞などインドア的な趣味になっていくことから、「人生の最後の楽しみは『文化』!」と述べられ、印象的でした
最後に横山さんは、今回の試みは女性、特に高校生などの若い人たちの行政・政治、社会活動への参加意欲の醸成、意識変革になったのでは、と感想を述べられました
・西 睦子(にし むつこ)さん(2019/11/16)
・さつま町轟町
「春の苑紅にほふ桃の花下照る道に出で立つをとめ」。万葉集の編者で、奈良時代薩摩国長官であった大伴家持の歌です。「春の庭が紅色に美しく照り輝く桃の花が木の下まで照り映えている道に出てたたずむ少女よ」と訳されています
令和元年度の文懇一日研修は、「令和」の出典となった万葉集の一端に触れようと「万葉の散歩道」をメインに薩摩川内市の史跡を訪ねました。まず、総勢14名で川内歴史資料館に向かいました。ここでは、資料館、国分寺跡、万葉の散歩道について学芸員の方に、時間オーバーになる位、熱心に説明をしてもらいました
資料館は過去何回か入場したことはあるものの、展示品やパネルについて認識を新たにしました。川内は神話から各時代を通じて切れ目なく歴史が綴られていると感じました。川内ハンヤ祭りの「時代絵巻」のパレードはそのことを物語っています
国分寺跡は初めて足を踏み入れました。模型を見た後、現地を訪れると天平の昔にタイムスリップした気分になります。飢饉や疫病、外敵除去、五穀豊穣を祈り、仏教による国づくりを目指した人々の思いを想像しました
万葉の散歩道は、大伴旅人・家持親子、その時代の文化の素晴らしさに浸ることができました。日本にはこんな古い時代の文物が残されており、歴史や文化の深みを感じます。後日15基すべての歌碑をゆっくり見たいと思います
泰平寺は、その昔ここを舞台に日本の歴史が動いたことを教えてくれます。即ち、秀吉、義久、義弘、歳久、新納忠元、桂忠詮、北郷時久などの歴史上の諸将が九州制覇に参戦し、平佐城の最終決戦で島津方は敗れ趨勢が決したわけです。秀吉と龍伯(義久)の像は、力関係と共に歴史の1ページを伝えてます
食事の後は川内港へ。朝鮮出兵の久見崎軍港、宮之城蔵の米の集積地・船間島は、遠い外洋へつながっていることを実感できます。最後は「甲冑工房丸武」へ。日本の甲冑を支えている拠点がここにあります。特にズラリと並んだ各種の甲冑は美しく、芸術品のようです。中は異空間でまるで合戦場。甲冑の文化を受け継ぎ、職人を育て、商業ベースに乗せていることは大変立派なことと思います
2019/7/13(土)の南日本新聞の「ひろば」欄に、会員の小向井一成さんの投稿が掲載されました
・「脳裏によみがえる古里の風景」と題して、知人より会報の表紙絵を頼まれ、書く内に幼い頃の思い出が蘇ってきた
という内容です。山や川など自然を相手にした遊びの数々は、管理人もやった経験があるので昔を思い出しました。
きっと素晴らしい絵ができたのではないでしょうか
4月7日行われた鹿児島県議会選挙において、会員でもある藤崎剛(ふじさき たけし)さんが鹿児島市・郡区(西伊敷在住)より立候補され、見事上位当選されました。今回で4期目になります
また、4月21日の南日本新聞でも紹介されたように、県議会において自民党県議団会長に就任されました。最大会派の長であり、全県的な視野に立って政策を進め、県の発展に貢献して欲しいと思います
旧宮之城とは縁が深く、総会には毎回出席いただいています。ざっくばらんで非常に話をし易い方です。氏の今後の益々のご活躍を祈念します(2019/4/23記載)
2019/3/22 南日本新聞にて会員活動紹介記事が掲載されました
・盈進小学校の児童と文化財ボランティアガイド(さつまガイド)により、宮之城地区の史跡ガイドブックを作成し、
関連施設に贈呈した記事です。会員の市野國治さんはさつまガイドの会長、同じく会員の四位勝義さんは副会長の立
場で参画されました。
盈進小を出発し、楠木神社、島津歳久供養塔、霧島神社、虎居樋門、宗功寺を巡るコースで、6年生が総合学習で史跡
巡りを行い、さつまガイドが案内するなど交流を続け、今回の合作となりました
2019/3/19 南日本新聞のマイショット欄に管理人(松木囿一喜)の写真が掲載されました
・今回の写真は、「宮之城ささ福かざり」のさげものや飾りのなかにあった「タケノコ」を撮ったものです。布で作っ
たものですが、タケノコは十二単(ひとえ)を着ているイメージがあり、アイデアがあって「ちくりんの町」にふさ
わしいと思って投稿しました。この欄は、コンテストではなく採用率は高いと思います。これからも、さつま町の風
物でめずらしいもの・楽しいものを切り取りたいと思います(写真は「ギャラリー」にあります)
南日本新聞の「ひろば」欄に会員2名の投稿が掲載されました。著作権の問題があるので要旨を紹介します
1.小向井 一成さん 「山あいの小学校に少年の日思う」(3月3日掲載)
中津川小学校を「地元の先生」として訪問し、子供たちと交流をしました。紙飛行機を作って飛ばしっこをしたり、
昔の話に子供たちが「え~っ」と言って身を乗り出して聞いてくれました
後に、子供から「昔の人は家族そろってご飯をたべていたことを初めて知った」という手紙をもらい、そして交流を
通じて、出会いへの感謝と自分が過ごした「ものは豊かではないが、心は豊かだった時代」を今の子供たちに味わせ
てあげたいー、と結ばれています
2.上 邦子さん 「一瞬の衝動に負けないために」 (3月14日掲載)
最近、痛ましい幼児虐待事件が多発しています。怒りはカッとなって怒鳴るなどの感情の発露、叱るは説いて考えさ
せること。結果としてどうなるのか、自分の人生や家族に及ぼす影響など一瞬の衝動で取り返しのつかない罪に走る
のは「想像力の欠如」ではないだろうか。
時には、ゲームや携帯の電源を切って、青空を仰ぎ、散歩や読書などにいそしみ、「思考する力」を養ってもらいた
い、と願っています
堀之内力三さんが首記顕彰を受けました。昨年9月に行われた同九州大会で「町興し」「19歳の焼酎プロジェクト」を
テーマに事例発表し、人づくり部門で第一位となり今回の顕彰となりました
今年に入り、町商工会初春のつどいや鹿児島県商工会青年部合同研修会(2月)において講演を行いました。堀之内さん
は酒屋を経営する傍ら、商工会活動やSNSを通じ地域おこしや焼酎文化の発信・拡大に尽力されています。今後も活躍
を期待します
1.吉留 勝之(よしどめ かつゆき)さん(2019/2/14)
・鹿児島市下伊敷(柏原大願寺出身)
・かごしま焼酎マイスターズクラブ副理事長(元KTS鹿児島テレビ勤務)
2.小松 幾代(こまつ いくよ)さん(2019/2/14)
・鹿児島市荒田
3.東 千鶴子(ひがし ちづこ)さん(2019/3/7)
・さつま町求名
4.西之園 明子(にしのその めいこ)さん(2019/3/12)
・さつま町虎居
5.野村 清子(のむら きよこ)さん(2019/4/18)
・さつま町轟町
6.小緑 絹代(こみどり きぬよ)さん(2016/6/6)
・さつま町湯田