◎さつま町の自然 (写真はクリックすると拡大されます)

◆鶴田ダムの放流 2020.11.29(日)

深き自然の多い神子。山々が重なり合う大きな峡谷部にコンクリートの巨大な構築物、それが鶴田ダム。この日ここに数百人の人々が集まった。ダムの放流、いやスキーのジャンプならぬ水の滑流を見るためである。家族連れ、ペアの客、三脚にカメラやVTR機をセットしたカメラマン達は良いアングルの場所を占有、バイク野郎…イヤ愛好家も…、道の片側は車の列、駐車場も狭しと車が並び誘導員が必要だ。コロナのこの頃、こんなに大勢の人を見たのは久しぶりだった。それだけでも憂さ晴らしになり心はうきうき

高さ60mのダム中央部の排出口(コンジット)3門より150/秒の水が放出される。新聞で紹介され、これを目当てに皆さん集まったのだ。私は昨年の経験もあり、今回は広角レンズで撮る巨大で迫力あるダムの撮影と直近で見る放出をビデオに収めることだった。下から見上げるダムの威容さは荘厳でさえある。人は撮影の邪魔にもなるが大勢の人が写るからこそ映える面もある。ダム下部の広場にいる人々の小さいこと、バスの小さいこと…良くこんな巨大なものをちっぽけな人間が作ったな!と感じる。また、よく1億トンもの水(最大で9,800)を堰き止めて支える等、超ド級の構造物である。桁外れの風水害の起きる昨今、ダムは適切に運用すれば、人々の命や財産を救う。ひと頃は環境破壊の象徴みたいに言われたが、利水・電力のみでなく治水上のメリットは八ツ場ダム、川辺ダムの建設実行、中止の例を見ても明らかである。デメリットもあるだろうが、それを上回る有益さがある

放流動画(近景)こちら>>

 

放流動画(遠景)こちら>>

 

放流動画(洪水)こちら>>


10時30分、いよいよ始まる。水門が徐々に開かれるのだろう、流れ来る水の量が増え、フル水量に達する。放たれた水のその勢いは強く白く、滑り台を滑って下部へと流れる。緩やかな角度部分に導かれ方向転換で一部は離陸するがもんどり返り減衰路を経て緩やかに河川部へと流れ込む。本当にスキージャンプを見るようだ(見た事はないが…)。少しダークな灰色の滑り台を流れる水は白い、背景が引き立てるように純白の如く白く綺麗なのである(う~ん、なぜ?大鶴湖の水は青や緑色のイメージだがなぜ白いのだ?…これはまるで「滝」ではないか、理屈っぽいことは後で調べる)

ビデオやら広角写真、場所取りに追われた。こういう時はスマホのビデオが使いやすい。吐き出し口から斜面の流れ、最下部の合流まで夢中で撮った。とにかく迫力ある流れを撮るように身を乗り出し、噴出した水が滑り落ち、川に到達するまでをワンカット的に撮れた。前にはスマホを高く掲げた人の多いこと、考えることは一緒だ、お蔭さまで「人と白い放流水のコラボ」も撮影できた。自分なりに納得し、上部の遠景の写真もゲットし満足感を持って終わった

さて、白く見える水について調べた。そもそもダム湖の水が緑や青に見える事自体が光の吸収や拡散、それ以外の影響も受けているんだとか。雲は白く虹は七色に見えるように。全て細かい水滴、空気が介在しているようだ。
蛇口も含め、勢いよく放出された水はたくさんの空気を取り込みやすい状態にあり、水の中には小さな気泡がたくさん発生する、湯気や霧のようにも見える。そして、その気泡が光を屈折、乱反射させるため肉眼で見ると水があたかも白く濁っているかのように見えるんだそうだ

◆柊野彼岸花 2020.9.21

この季節、いつもなら「柊野彼岸花祭り」が行われるが今年は中止。でも彼岸花はコロナに関係なく咲き誇るだろう、と思い撮影に出かけた。村の入るとまだ少し咲き具合が少なく感じた。いつもの「赤い絨毯」が見られなかった。でも稲穂がでて田園・緑黄の世界に赤い花が色を添えている。なぜか心が癒される気がする。自分が大昔から見てきた原風景なのか?

 

“第一村人発見”と思ったが服装が違う。行楽のお客さん達がチラホラ目に付く。旧小学校を過ぎ、しばらく行くと彼岸花公園のような見どころがある。車がたくさん駐車しており皆さん考えは同じようだ。カメラを持った方が多い。休日ということもあり、若いカップルや家族連れ、中高年の夫婦など様々だ。このエリアの中に「白い曼殊沙華」が目を引く。

 

マクロ(接眼レンズ)と望遠をセットする暇もなく慌ただしくなった。白い花が群集しているところに黒いアゲハチョウが2羽戯れているではないか!これは願ってもない絶好のチャンス、こういうシーンを狙ってきたのだ。彼岸花に蝶はよく似合う。「花と蝶」とはよく言ったものだ。近づいて撮る人もいたが迷惑な人と思いながら、この為に望遠レンズを持ってきたのだ。いろいろな角度から思い存分撮影できた。一枚くらいはベストショットがあるだろう

 

周りを見ると知人がいた。彼は参加者に「鮎の塩焼き」を毎回ふるまっている。今年はイベント中止のためここに説明を兼ねて来ているようだ。説明や写真撮影を買って出ていた。私は第一声、「宮之城文化16号に寄稿した〇さんを知っているよね、タケノコや野菜をやっている人だよね」。彼は、その本を〇さんから頂いて読んでいる、とのこと。「いろいろお裾分けしているのは俺だよ」という

 

彼女の主張に「我が意を得たり」で滔々と「地域おこし」について持論を話してくれた。彼女の寄稿文は私の思った通り、地域の特徴をよく捉えており地域おこしの参考になると予測していた通り、同じ考えの人にすぐさま出会えた。いい出会いだった。『宮之城文化16号』が売れ、多く方が見てくれることを祈る

◆蓮園 2020.7.21

久し振りにHP更新を行う。天候不良の折、体調不良まであってStayHomeを守っていた。

守れば守るほど精気が削がれる思いがする。やるべきことも思い浮かばない。最近、この地区は「蓮」に加え「睡蓮」も新規名物になってきた。私のFacebookにも各地の蓮などが賑わっている。7月、8月は季節の中で風物詩が余りないのです

 

長梅雨のせいか、今日時点でまだいつものように咲き乱れていない。花一輪をクローズアップで撮るには問題ないが、近接系レンズでは近寄れず、望遠系でないとうまく撮れない。花咲く集合体として、また地区の風物詩として撮るには少し寂しい。来年のカレンダー写真候補としては「紫尾山を背景に持つ田原の睡蓮」だろう。ただ一輪を見ると「蓮」は美しい。色合いや特に白色とピンクのグラディエーションがきれいである。昔から「仏像や仏教画」で多く見ることがあり、ご浄土の花にぴったり合う刷り込みがあるかただろうか。泥中のような人間社会から美しい花を咲かす蓮は浄土にイメージにピッタリだ

Wikipediaより引用する。日本での古名「はちす」は、花托の形状をの巣に見立てたとするのが通説で、「はす」はその転訛。水芙蓉(すいふよう、みずふよう)、もしくは単に芙蓉、不語仙(ふごせん)、池見草(いけみぐさ)、水の花などの異称をもつ。漢字では「蓮」のほかに「荷」または「藕」の字をあてる。ハスの花と睡蓮を指して「蓮華」(れんげ)と言い、ともに伝来し古くから使われた名である。7月の誕生花であり、夏の季語、とある

 

このところ、私は写真を拡大して展示会に出す事と、出版が近くなった『宮之城文化』の編集を手掛けた関係上、「表現を豊かに、楽しく」することに集中していた。そのため、従来のWordやパワポだけでなくドロー系グラフィックス(Inkscape)に凝っている。もっと鍛錬すれば表現力が増すと思う。SNSFacebookなど全盛で若手はなかなか読者が増えない。老齢ながらこんな方面も少し詳しくなりたい。最後は主題から外れてしまった

◆治水ダムは必要? 2020.7.5

熊本の球磨川の川辺ダムは、治水と多目的ダムとして計画されたが1966年に流域の市町村が反対し建設されなかった。環境が言われ、単なる魚釣りの方々も漁協員として反対が盛り上がったのを記憶している。その後、他の治水対策が行われたようであるが、その効果はなかったと言わざるを得ない。流域はさすがにきれいで開発の入らない自然の景観、自然が売り物であるが、今回の洪水で、結果論ながら急流で名高い川なのに悔やまれる

 

八ツ場ダムの効能が最近言われた。民主党が「コンクリートから人へ」のスローガンで一時中断されたが結局完成した。昨年の台風19号の利根川水系、吾妻川で貯水機能が働き首都圏の洪水は免れた。八ツ場ダムは試験湛水中であり治水容量6500㎥を7500㎥に上げられ効果が

        2020.7.6鶴田ダムの放流                         寄与し評価された。

 

今、ダムの事前放水などにより洪水調節機能が言われている。ダムが一杯になると流入量を流すのであるが、AIを使った降雨量予測などで事前放水を含め備えることである。異常気象な中にあればダムは有益である。今日の川内川をまた撮りに行った。午前7時頃にMax6.5mであった(今シーズン最高水位。既往最高は11.6<2006/7/22>)一昨日の場所に加え、オシドリ橋、山崎橋付近、神子橋付近、神子轟、鶴田ダムに行った。この中で、轟の瀬、神子轟は「なくなっていた。水位があれだけ増すと水の底に隠れ、何もないような濁流である。椎込分水路も見たが、一昨日と余り違いが分からなかった(なぜ段差がつくのか教えて?ベルヌーイさん。このレベルの水位では分水路の効果が余り見られない「ゆったりした流れ」である)。歴史資料館、文化センターで土砂崩れ、山崎・時吉の日暮道路、神子轟に通じる道の通行禁止、倉内団地の石や泥で通行禁止が多かった

 

警戒水位を超えたのであろう、水防団員が至る所で警戒や交通止めを行っていた。今日は国交省のポンプが虎居堤防でフル稼働していた。大口径のホース12本で虎居下水道より汲み上げていた。10分で25mプールの水を排出する量らしい。鶴田ダムはすごかった。直径5mの放水管(5本かな?)よりフルに放出しており、整流とは程遠く水があばれるというか減衰路などにぶつかり、水が暴れり狂っている。地響きをたてるような黙々…というより爆音とともに泡も含んだ水が爆発するみたいである。次々と吐き出され煙のように水飛沫があがり、こんな水圧の大放流は初めて見た。中央上方の3つのゲートからも流れ、迫力を通り越し、壮絶壮観、空前絶後、恐怖、たじろきである。通常、ダムは静的で物静かであるが、こんな動的なダムは初めてである(まるでロケット噴射)。しかしながら、貯水は水位が意外に低く貯水量も多く感じなかった。排出後の水量も深い峡谷のせいか余り多く感じられない。ダムはうまくコントロールすれば治水も発電も大いに役立っていると実感する。動画⇒鶴田ダム放流  椎込分水路  虎居地区排水作業  川原地区の流れ

◆豪雨と恐怖 2020.7.4

さつま町は梅雨が明けず、雨の日が続いています。川内川を見ると褐色というか黄土色の濁流が流れています。まるで悪魔の濁流と化します。私は魚取りをしていた習慣から宮之城虎居地区の水位をウォッチングしています。夏場の少ない時の水位は0.7m位、最も少ない時は0.6m台です。水嵩が増すとさすがに恐怖心が湧いてきます。通常、淀んでいるところも流れはかなり速いです。1秒間の「カッツカッツ」と言う間に目測で5m流れるとすると時速18Kmと推測がつきます。私は、水位が0.9mを超えると「川舟」は出さない、あの岩が隠れたら漁はしない、でした。漕いでも進まずコントロールできなくなるのです(左図は宮都大橋)

 

水って、清流や滝など通常は親しみもあり、きれいさに癒される時もあります。これが一日で豹変します。濁流になると破壊力、浸食力も強く一面に泥や木切れ、ゴミをまき散らしたり地形が変わるように洗い流します。水の圧力はすごいですよ。昔より雨は豪雨になり、川は水位のレベルが高くなっていると感じます。これは近代化、開発の仕業なのか?環境破壊の生活がしっぺ返しをしているようだ。周りを見ても山の分譲や樹々の伐採、道路は舗装、下水道の整備などで「水の大地への吸収」が減り、大河へと流される。温暖化による異常気象など台風も強力、竜巻なで起きる…と言うより暴風雨がアメリカのレベルで吹き荒れる。そして、風水害はどこでも起こり得る

 

3日の夜から明け方にかけてすごい雨が降りました。風も強かったです。鹿児島より熊本の球磨川が災害に見舞われています。少し緯度が低ければ川内川で起きた水害でしょう。気象庁は「数十年に一度の豪雨」「経験したことのない災害」「命を守る行動を!」などと連呼しています。最近、言うことが違っています。昔はこんなことはなかった。4日の10時ころよりさつま町は晴れになったので、私は写真をとりに行きました

 

虎居での推移が最大5.4m位になりました。通常より4.7m上昇です。時吉の日暮れ道路は一部冠水して通行禁止です。行って安全地帯から写真を撮りました。轟の瀬、宮都大橋、虎居橋、分水路、八丈瀬、中学校からの分水路、柏原橋、柏原の田んぼを撮りました。橋の上からながら恐怖心があります。分水路もたっぷり流れていました。1m位の段差がついて流しており分岐は壮観です。下流は狭い場所はないので分水路は従来の流れのボトルネックを解消し、水位上昇を防いでいるのでしょう。しかし、考えていた以上に流れていない気がする。流速が遅いのです。虎居の堤防には国交省の電源車が待機して虎居側下水道からポンプで汲み出す体制を取っていました

 

偏西風蛇行の乱れなどで猛暑や寒波地域も世界的に異常になって来ている。日本の二十四節季も何かしら暦のそれも現実とはなれている感じもします。CO2を出さないなど生活の便利さや経済成長が「悪」となると大問題である。しかし野放図なものを先頭に抑制する方向になるのでは…と思う。こんな自然の驚異を感じると!

◆睡蓮の里(佐志田原) 2020.6.29

先日の南日本新聞でも紹介され、人出が大幅に増えた。21日は車が260台位、28日も200台位来場があったという。この地区には睡蓮と蓮の田んぼがある。蓮との違いは、花が少し小ぶりであり、花びらの数が多い。共通点は、抽水(ちゅうすい)植物といって、水の底の土や泥に根を張り、水上に葉と花を展開する_らしい。ここは、何と言っても背景に紫尾山が見えるのでカメラを持ってきた人は皆んな撮っただろう。睡蓮の方は数年前から始め、当初は数も田んぼの面積も少なかったので行く人は殆どなかった。そして現在、多くの休耕田を整備し、品種も増えて色鮮やかなスポットとなった。親切に教えてもらい確か11種類の花(色の種類)があるという。1500㎡ある花園を約2000㎡に増やす計画だと言う

モネの睡蓮と関連付けて書こうとしたが、南日本新聞で先取りされてしまった。代わりに性質を調べた。午前中、特に10時~12時位に咲くと言う。日中に花びらが開き午後になると閉じる(蓮と睡蓮では時間が少し違う)。これを3日繰り返して花の寿命は終わりで、しかし、3日間の寿命だからといって、夏場には次から次へと蕾が現れ毎日楽しめるんだそうです。10月まで見れると言うから、一番上の田んぼは蓮が植栽されており、蓮とのコラボレーションも見れると思う。しかし7月位で終わりでは…(管理者談)

 

この「睡蓮」、決して「水蓮」ではなく、この「睡蓮」にもちゃんと名前の由来があるそうです。花は上記にもあるように開いて閉じてを3回繰り返す。これを人間のサイクルに例えて、日中(開く=目覚める)、夜(閉じる=眠る)というところから、「睡眠する蓮」→「睡蓮」だそうです。最も、蓮も開いて閉じてはします。7月から8月は写真撮影にの対象が少ないのです。私の家から近いので、しばらくここに通って見定めたいと思っています。では、写真をお楽しみ下さい

◆さつま町の「滝」 2020.6.7

さつま町にも素晴らしい「滝」あります。滝は普通、山奥や渓谷などに足を運ぶ辛いところにあります。特に滝壺から眺めるのは迫力満点です。しかも、見たくなるのは夏です。あの水しぶきやマイナスイオン…癒されます。自然の雄大さを感じます

 

最近、イベント中止や自粛ムードが少し緩和される方向ですが、まだまだ本格モードには時間がかかりそうです。そんな中、昔の同僚から写真撮影の誘いを受けたのです。彼は「滝マニア」です。行先はさつま町の「永江の滝」「観音滝」「千尋滝」です。実は、地元ながら私は永江の滝への降り口が分からず「滝壺からの撮影」はできていませんでした。藪か、霊力か?が行先を阻んでいました。今回は、間に「睡蓮」撮影を挟み、さつま町の自然を撮る目的でも出かけた

 

旧薩摩町が昭和9年、ここで「雨乞い」の儀式を行ったところです。二つ返事でOKしました。

草茫々を掻き分けて進んだ先に、水が滝壺を打つ「ゴ~ッ、ゴーゴ-、ゴ~ッ」という音、轟音と共に水滴と霧が目の前に開ける。落差も幅も水量も多く壮観さにまず見入ってしまう。こんな経験は何十年振りだろう。下から見上げると大きな岩と苔、隙間に生える雑木、真っ白い水が3つに分かれて水面めがけて落ちて来る。上から見るのと全然違う。下から見上げると迫力と神聖さすら感じる。これは何万年もかかったのだろう、「自然が造った造形美」である。もちろんカメラに思う存分収めた。薩摩町の方々がここで雨乞いをした気持ちもわかる気がする

(左図は「千尋滝」)

 

佐志にはもうすぐ咲く「蓮の花」のスポットがあるが、蓮に先駆け、田原に「睡蓮の花」スポットもあるのです。だんだん進化して蓮たんぼと並ぶ名所になると思います。蓮農園で「十割蕎麦(固いんだ)」を食べて紫尾山の千尋滝へ(観音滝は上流からも定位置からも撮りましたが今回は省略します)。紫尾道はさすがに林道です。まず、第一滝があります。「龍神、千尋滝」とお札や、花香、しめ縄があります。人は、「滝は神聖なり」と思うのでしょう。こちら側、紫尾山を源流とする水は大薄川に収束し、田畑や人を潤し川内川へと注がれる。人は祀りたくなるのでしょう

 

千尋滝までに34つ程、木々に囲まれて滝があります。それぞれの段差、地形があります。そして、林道の舗装が途切れる地点へ。昔のバンガローは完全に撤去されている。他に3組の来場者もあった。私は一人で登山して以来10数年降りである。気持ちもはやりながら崩れた登山道を進むと滝が姿を現す。まず感嘆するのは「高さ」である。近づいて見上げると水滴を浴びながら、水がすごい速度で重量感を伴って落ちてくるのです

 

やはり昇龍を想像します。「登龍門」とはよく言ったものです。「尋」とは、人が両手を広げた幅の長さ(即ち、身長)から、落差が千もある程、高く偉大であると言ったと思います。普通サイズのレンズで上から滝壺まで入らないのです。広角レンズを持ってこずに残念ながら、スマホのパノラマで全景を撮ったが、水が糸を引くようには撮れなかった。今度は、梅雨の晴れ間の水量が多い時に再チャレンジです。今回は「おまけ」がついた。ふと見ると、何者かが高い木を器用に登って行ったのです。リスかマモ(むささび)か?イヤ頭が大きかったから「猿」だろう。カメラを向けようとしたが見失った。上のどこにもいなかった。最後は「献血」もした。吸血鬼に足首を噛まれていた。別の日、紫尾の別の滝、泊野の「轟の滝」も撮った。さつま町の、お土産付き「名勝、滝シリーズ」を見て下さい(更に、おまけに過去の神子轟もいれました)


◆山が萌える(山が燃える) 2020.5.2

季節によって「山が燃える」とか「山が萌える」と感じませんか?「山が燃える」の山火事は論外。石川さゆりさんの『天城越え』です。女の情念を歌った“ものすごい歌詞”です。この歌では、「紅葉が炎のような深紅」に見えるように私の心が燃える、という意味でしょうか。いくらかの経験を、あの世界にイメージ拡大なのでしょうか。文系脳のすごさを感じます

 

もう一つ、「萌え!」なんて言葉が若い人などで流行りました。以前、秋葉原方面に出張した時、駅にアニメの少女キャラクタで「〇〇〇してチョ」なんて意味不明なセリフの大きなポスターがありました。どうも、若者に受ける、共感する、カッコいいなどを「萌え~」などと言っていたのでは、と思います。かなり“アニメの世界”ですが、感覚的です(その当時も今でもオジサンには真意不明ですが…)

今の時期の「もえる」は「萌える」です。私が近場で見る山は殆ど萌えています。木々の芽吹き、新芽の季節ですべてが一気に芽吹いています。皆さん!すぐ近くの山々を見て下さい。いろいろな緑の木々、枝がもくもくと山を彩ります。一枝々、樹木一本一本が、青き山、濃紺の山の平坦色な姿が一変します。車を運転しながら目に入ってきます。コロナ禍の最中ですが、山が壮大でこんな色に染めるなんて、自然の造形・配色が綺麗の一言です

 

山藤の紺が色を添えます。また黄色っぽい「椎の木」の花は随所で咲き誇っており人の精神を刺激します。圧倒的に豊かだと気がおかしくなりそうな、正常な精神を狂わすように感じます(私だけでしょうか?)。その中で、黄緑の葉が古い緑の先に現れると新陳代謝しているようで、みずみずしい葉っぱは心に安らぎを与えてくれます

 

椎の木の花は、実を結びどんぐりになるのでしょうか。これを動物が食べるサイクルができています。少し前に、杉の花粉を煙のようにまき散らしました。植物の種は再生される。そして光合成で成長する。うまいことできています。杉は常緑樹でいつも緑色ですが、いろいろな木々が混在しているのが面白いと言うか、自然の良さです。常緑樹は季節を問わない常緑樹の良さがあり、落葉樹も夏場は太陽の光を遮断し、冬は取り入れてくれます。樹木は人にとって良い友ですね。…支離滅裂ながら以上、これまで!


◆春の花、花図鑑 2020.4.上旬

今の時期はやっぱり「桜」や「つつじ」に名も知らぬ花々、名所でなくてもあちこちで咲き乱れています。久しぶりに足を運び、近所と近場をカメラ散歩しました。まず、町内ではないが、東郷の本俣に展示会を見に行きました。ここは藤川天神の先です。ごく普通の田園田舎ではなく、山深き里です。林業と農業で栄えた集落だったとのことですが、景色も村並みも新鮮で昔の写真を見ると生活も生き生きと伝わってきます

 

高齢女性が多いですが、環境の良い所です。あまり目にしない景色で、日常の生活を撮った写真がまた良いのです。久保カメラマンさんは「村を撮る」がテーマでもありますが、過去の写真集を見ると都会や外国、自然などプロの腕前です。私もいい刺激を受け、こんな写真、こんな写真人生は良いな、と思いました

その後、山口さん宅の「つつじ山」に行きました。今日は撮影に没頭しました。主に、スマホのパノラマ機能、外付け広角レンズで全体を撮りました。生で見た感動が再現できます。その足で、白男川の、きらら川右岸桜と紫尾山の写真狙い。毎年来ていますが、黄砂のせいか少し霞んでおり雲が少なことが少し不満。しかし、先にいくと若い女性3人が「お花見」中、良いチャンスなので景色の中に一緒に入れされてもらいました。アップロードのOKをもらいました。このご時世ですからね~、良い試みではないですか

アメリカ人なら「オー、ビューティフル、チェリーブロッサム!」と言うのでしょうかね(別の花みたい!)日曜日の観音滝公園は開放されていました。変わったところから撮ろうと滝の旅頂上とキャンプ場駐車場から攻めました。新しい発見をしました「自然に包まれている」「上から見ると違った景色がきれい」と思いました。結局、下まで降りていつも違う場所から眺め、思う存分撮りました(機材を抱えて帰りの急な坂はこたえました)

 

聞きなれない言葉で話す人たちがいました。日曜日だったのでどこかのリクリエーションだったのでしょう。バンガローのデッキ台の上でドレスを着て写真を撮っている女子2人もいました。ベトナムの人でしょうか?似合っていましたよ。2人の写真を撮り、バンガローバックで撮るサービスをすればよかったな~と後で後悔しました

◆早春の河津桜とメジロ 2020.2.18~20

ユーモア歴史を書いている。壁にぶち当たっているので、気分転換、リフレッシュ、泥沼脱出!。綺麗で爽やかな気分を求めて「イザ出発」。行先は(株)秦野精密さん宅裏の知る人ぞ知るスポット、「早春の風物詩!河津桜の名所」。2月のこの時期、満開するのだ。花言葉は「思いを託す」「淡泊」「純潔」「優れた美人」「精神美」だそうだ

秦野精密さん(永野)が「河津桜、見ごろ!」と看板を出して下さる。無料だ!。最近、毎年行っている。桜とメジロを写すためだ。この時期、満開近い桜に少し緑の蕾も残り華やかだ。ピンクが後ろの山々の青くも濃くもある緑や青空を背に綺麗なのだ。接眼レンズで背景ボカシが「きれいに映ルンですよ」

メジロがきれいだ。うぐいす色の小さい体、目の周囲は白く蜜をついばむ。昔より小柄でチョコマカと動き過ぎと感じる。望遠レンズのカメラだが狙いは難しい。桜の花は大きく密集しており、メジロの全形や夫婦ペアーの撮影は難しい。20日は幸運が訪れた。定位置にいるメジロちゃんが現れた。モデルみたいに「私を撮って!」と言わんばかりだ。移動せず「羽つくろい」をしていた。「いろんな姿勢を撮ってね!」だろうか。連射でかなり取った。メジロのフォトムービを見てくださいネ。鳥名がアドバイスから分かった。メジロは目の周りの白いアイリングから「メジロ」。「はなし」と言うのは、花の蜜が好物で花う吸うので「はなすい」。これが「はなし」と訛ったという


小さい時期よく獲ったものだ。ヤンモチ(鳥もち)を木の皮を剥いでつき、水飴のような接着力のあるものに仕上がる。木の枝にヤンモチをネジリ擦り付けて止まり木にする。メジロが留るのをジーツと粘り強く待つ。近ずくと胸が高鳴り「イケーッイケーッ」を口ずさむ。留ると鉄棒の大車輪のように半回転前に回転する。結構獲れるんだ、集団で来おった。鳥かごに飼い飼育する。イモ、野菜、茹で卵をやり、フンの清掃や水浴もさせる。そして、「チィーッ」となく鳥は貴重だ。すぐ「タッカ」を鳴くのを待つ。鳴き声「§※#?…」
は忘れたが、早口の高低強弱のリズムある鳴き声。しかしその経験はなく全部死んだのを覚えている。その頃は鳥獣禁止もなかったと記憶する


そんな思い出を想いながら、よく楽しみ、おばさんたちとも話をした。施設の方や出張ビジネスマンが見学に来たりした。皆さん、癒されたんだ、この時期、童心に返り楽しんだと思う。私は3日行って本来の目的を果たせた。懸案の役員が決定!。「オアシス・歴史の泉」的だがモンモンとした壁を突き破れた。祝!!ブレイクスルー。2貝の女が木(櫻)になって思い出したのかも…  メジロのビデオ>>


◆紅葉(その2)2019/11/30

春の代表が桜ならば、秋は何と言っても「紅葉」。私は時吉という田舎に住んでいるので、季節の山川草木や景色の移り変わりをよく見ることになります。桜の花、みずみずしい若葉、山を燃やす椎の木、色ずく果実、晩秋の紅葉、このサイクルは忘れた頃、待ち遠しい頃に出現するので、古希を迎えた今日の私でも、その都度新鮮に感じることができます。年を重ねたからこそ、季節に敏感になってきたのでしょう

特に、ハゼの木の葉が鮮やかな色を見せます。山というか森の中にひと際強烈な深紅の葉はワンポイントのアクセサリーで山々がお洒落をしているように見えます。群生はしていないが至る所にあるので、自然に生えたのか、藩政時代に和紙や漆器の原材料として植栽したものなのでしょうか

さつま町内での紅葉スポットを求めて散策しました。京都の嵐山や清水寺のような華やかで圧倒的な紅葉は見られませんが、この地方の気候風土に応じた“つつましい秋の景色”があります。観音滝は経営上の問題で閉鎖中なのは非常に残念ですが、行ってみると、自然は「そのようなことは関係ないよ」と言っているようです。写真をかじっている身としては、綺麗に撮れるポイント、構図を捜してしまいます。全体を撮るか、部分か、渓流の落ち葉、青空に映える紅葉、ぼかしなど変数は色々あります。今回は、錦秋の紅葉といえるものは撮ることができませんでした。黄葉を含め、今季撮った写真をご覧ください

話はそれますが、紅葉(もみじ)にはマイナスイメージもあります。車の高齢者マークです。今でも軽トラックの後ろに張ってあるのを見かけます。古いマークは、枯れ葉や落ち葉のイメージで、「後期高齢者」並みの「老人の自覚」を強要していると感じます。今は若葉マークですが、”高齢者自称のマーク”なので私はまだ付ける気になりません

秋は物悲しく寂しいイメージで人生の高齢期、晩年期を表します。これもいつかは訪れる自然の法則と理解しつつ、濡れ落ち葉にならないよう、意地と気力を持って過ごしたい、と決意し結びます。最後はネガティブな
話で申し訳ない…


◆紅葉(その1:黄葉編) 2019/11/24 ~青空に緑黄の葉はさわやかで美しい~

今の時期、紅葉に先駆けて色ずくのは銀杏の木。世の中には、千本桜、千本松原(薩摩藩が治水工事をした木曽三川の傍)、千本銀杏、千本楠など、密集して植えてあるところがある。さぞかし壮観、豪華で見ごたえのある風景だろう。さつま町の「銀杏」は、単独~数本の木が多いが、並木道や多く植栽されているところもいくつか存在する

今日は、町内の紅葉と銀杏を目当てにカメラ・ドライブした。銀杏の木は、通常はどこに植えてあるか目立たず分からない。この時期になると、「ここにいるぞ!」とばかり自己主張している。枝いっぱいのカラフルな葉を豊富に纏い、青空を背にドレスアップして人の目を引き付ける。まだ目覚めない緑の濃いものもあり、緑、緑黄、黄色が綺麗に入り混じったようなグラディエーションのような色合いを見せてくれる
。四季や寒暖という自然の営みは、植物を育み人を感嘆させる


街路樹や公園、神社でよく見かける。落葉樹として、暑い日差しから影をつくり、冬は落葉して日差しを通す。銀杏の実は食用になり、材は”まな板”にも利用される。人にとって誠に有難い存在である

例によって、WEB情報を基にウンチクを語ります。詩人のゲーテは、「銀杏の葉は これはもともと一枚の葉が二つに分かれたのでしょうか?
それとも二枚の葉が互いに相手を見つけて一つになったのでしょうか?」という一節の詩を愛する人に送っています。銀杏の葉で告白するとは…さすがにゲーテ。また、海音寺潮五郎の、堀之内良眼坊の川内川の川ざらえを描いた小説も『二本の銀杏』(ふたもとのぎんなん)である。村の東西に雌雄の銀杏の巨木があり、これが題になっているが、士族同志の相いれない考えと良眼坊と武士の人妻との恋物語が「離反結合の銀杏の葉」で共通すると連想してしまった

それに引きかえ、私は昔、自家肥料を作る時、葉っぱを見て「生々しくてなかなか土に還元しない使えないヤツ」と断じた。考えを変えなくては…、と思った。秋から冬へ。明確な季節の変わり目には思索して詩作したいものです。次回は「紅葉探し」をしてみたいと思います


◆ほたるの群生  ~コンダクターが奏でる光のウェーブ~さつま町のホタル、全国区へ

5月中旬より、今年もホタル舞う季節となりました。さつま町の有名なホタル観賞スポットは3か所あります。いずれも川内川沿いの奥さつま(神子)、二渡と時吉の血合瀬です。このうち、時吉は舟の運航はありませんが、ホタルと触れ合うことができ、見物人やカメラマンの多いところです

 

カメラに寄って来たり、人懐っこく”あいさつ”に来たりします。管理人は時吉の住人であり、地の利を生かしてシーズン中10夜ほど写真撮影に出かけます。自称ほたるウォッチャーですが、気象条件や撮影条件を考えて撮影するものの、なかなか気に入ったものは撮れません

 

左の下の写真は8分弱の間に出現したホタルを一枚にまとめたものです(邪道かも知れませんが16枚を合成したものです)。どれ位の密度で群舞するかがわかってもらえると思います。東京など県外のカメラマンも来場され、今や全国区になりつつあります

 

 殆ど源氏ホタルです。地形も幸いしているのでしょう。20時頃より30~40分は最盛期です。中州(ほたる島)、対岸、法面に多く発生し、その間を飛び交い乱舞する姿は幻想的です。見物人からは一様に「ウヮーッ」とうい感嘆の言葉がでます

 

殆ど動かず点滅するホタルも多いですが、彼らにはコンダクターがいるのでしょうか?付近のホタルの点滅は同期し、隣へと伝わっていきます。まさに無数のホタルが織りなす光のウェーブ!。飛び交い群舞するホタルの青い光跡は写真撮影の醍醐味

 

成虫の寿命は2週間程、桜と同じく儚く律儀で最後は華々しく散る…誠に美しいものがあります。写真は全て2019年のものです



◆桜の開花 ~久方の 光のどけき 春の日に しづこころなく 花の散るらむ~

これは、桜を詠った紀友則の歌です。「のどかな春の日はゆっくり過ぎるのに、なぜ桜の花は慌ただしく散ってしまうのだろう」という意味でしょうか。皆が心待ちする桜の開花は、桜前線などと称して天気予報の一種として取り上げられています。日本列島を南から北へ北上し全国津々浦々に春を届けます

 

私は、桜を見ると心が躍りうきうきします。ある人は、「桜は儚く、健気で、一生懸命であるから美しい」と言います。限り有る命を懸命に咲かせ、最期は力尽き、華々しく散る。これが日本人の美意識・美徳に通じるのでしょう

 

白やピンクなどの色合いや花びらの可愛らしさ、華やかさといった見た目の美しさもありますが、寒くて長い冬にじっと耐え、春の陽光を浴びることで開花する…。このことを人生に例え、日本人の精神(こころ)に通じるからでしょうか

 

さつま町にも花だよりが届きました。さつま町の代表的な場所の桜です



◆優美なる山(紫尾山)の夜明け

北薩の最高峰、紫尾山。標高1,067mより日の出を見たことがありますか?鹿児島県地誌考によると紫尾山はアイヌ語で「優美なる山」の意味であるという。また、藩政時代は上宮山と呼ばれた

 

自分の足で登ってこそ征服の喜びがあると思いますが、現在は、幸か不幸か車で登ることができます。堀切峠からが特にクネクネの上り坂。まさに九十九折りの山道。いくつものヘアピンカーブで方向感覚を失うもやがて頂上に至る。頂上の方位盤が方向感覚を正してくれる

 

頂上は、さつま町の平川。年初の日の出は7:15頃。空が白み薄明を迎えると東の空が美しい。暗い天空から青い空、黄金色に輝く雲へとグラディエーションをなし神々しく感じられる 

 

雲海上に島のように浮かぶ霧島連山・高千穂、右に高隈山系と桜島、こんなに近くに感じられることと自然美に感嘆する。地上ではあんなに遠いのに、雲上の世界ではすぐそこ!に見えるから不思議だ。遠くから見る紫尾山も秀麗であるが、頂から見る景色も絶景である。遥かむかし、徐福も空覚上人もこの情景をみたのであろう

 

茜色に染まった東雲(しののめ)を背に、いよいよご来光となる。いくつかの光条を発しながら徐々に姿をみせる。湯田の八幡神社の方向から上がり、瞬く間に上昇し、霧を払い我が町を照らす。この光景は天体ショーと言っても過言ではない。太古の昔から太陽はこの営みを繰り返し、満遍なくあらゆるものを照らし育んでいることを実感する


宮文懇の先輩方の紫尾山関係3篇を『宮之城文化4号』より転載します

◆紫尾山への思いあれこれ           小辻 清行

 

一億年以上の昔、紫尾山頂は海底だったという。一年に1ミリないし2ミリ位ずつ土砂が堆積して出来た山だという

 

何という悠久の営みだろう。堆積・隆起・崩壊を繰り返し、あるときは氷河期を迎え、そうした壮大な軋轢の中で出来た千尋滝(せんぴろたき)は、一つの小さな出来事かも知れない。

 

高さ75米からなだれ落ちる滝の上部15米位は花崗岩の断崖絶壁である。この切り立った絶壁に、ダイモンジ草の白い可憐な花が滝の飛沫(しぶき)を浴びながら、それでも懸命に断崖にへばりつくように自生している姿をみるとなんだか胸が熱くなってくる。

 

私たち宮之城文化懇談会では、平成7年10月29日総勢20名で       <浅井野の掛け干しと紫尾山>

登尾川から千尋滝へと向かった。講師は歩く図鑑と言われる立久井昭雄先生である。これまで、泊野川・大薄川の源流探訪や、泊野川のウォッチングに続いてこの度の千尋滝周辺のウォッチングももまた意義のあるものになった。

 

平成6年8月に川内営林署を表敬訪問し、その後次長の古澤法男さんから電話が入った。「いげ原22林班内にイチイ樫を4,700本植えました」と。一瞬わたしは飛び上がらんばかりに喜んだ。これで川内営林署と当会との友好の絆が固く結ばれたと確信したのだった。

 

わたしはこの絆を更に太くて長いものにして行きたいと思っている。紫尾山はその大部分が国有林であるので、我々が勝手に手を付けることはできないが、しかし同時にその地域に生きる住民に直接影響のある山である。そのような意味で、管理者側との意思の疎通は大事なことである。私たちは、この紫尾山を深くてより大きな山に育てていきたいし、また育てなければならないと思っている。

 

そのことはまた、清らかな渓流の問題にも影響してくる。一年を通して水量が豊富で清冽な渓流を作り出すために何をどうすれば良いのか、それはある意味では明確である。そして更には「名水百選」に選ばれるような「名水の里づくり」を目指したいと思っており、今回の総会では、「名水の里づくり」を議題として取り上げ、」関係団体に提唱していくことにした。                                         平成8年1月30日記


◆自然と文化について~紫尾山のすそ野から~        故 松下 芙二雄

◎日本人は自然を愛する詩人である

 

日本人は皆詩人と云われます。現実に詩教室を作らなくても、感性として花鳥風月に寄せる想いや愛でる心を持っています。事実、一生の間にただの一句も作ったことがない人がいるでしょうか。私たちは皆、わびさびの心を解し、説明はできなくても心に秘めて温めています

 

茶道や生け花に親しむ人が如何に多いことか。これらの所作や造形の中に自然の営みや息吹を感じとることができる民族なのです。本来私たちは深く詩情を解し、文芸芸術の分野でも優れた特性を持っています。書画や音曲、伝統芸能、民具民芸品に至るまで、身も心も没入できる人々も数知れずいます

 

これらのことは、私たちが最も純粋に深く自然を解し、それに溶け込める民俗であったということだと思います。あるノーベル賞作家は「美しい日本の私」と題して記念講演を行い、私たちの感性を誇り高く語りました。わが民族の、やおろずの神(宇宙自然の生命力の多様性)を感得することができる素晴らしい感性を、単に日本人のあいまいさと片付けた人がいましたが、そのような迎合思考はとうてい真髄に迫ることができるとは思えません。

 

自分たちが忘れがちな美点や優れた芸術等を、外国に人が指摘してくれて気が付くことの多い今の私たちですが、祖先たちは「あいまいさ」すなわち「混沌」こそが生命誕生の源泉であったことを確かに記憶しているのです

 

◎紫尾山を熱い心で仰ぎ護っていきたい

 

私たちは自分の中に、一人では生きられない人間の謙虚さや人の痛みや悩みも共有できる優しさを本来持っています。神や自然の恩恵で今日を生かされ、祖先から連綿と受け継いだ生命と心の財産を子や孫に引き継いでゆく責任があると思います。

 

人は独りで生まれてきたから独りで死んでいくゆくのだと言いますが、果してそうでしょうか。悠遠な生命の流れを私たちは自分の血液や心臓の鼓動から感じ取れます。それぞれの肉体は時到れば帰るべき土に帰るけれども、子孫たちに永遠にこれを伝えるのです

 

終わりに、紫尾山のすそ野から…というサブタイトルの主旨を少し述べさせて頂きますと、紫尾山という山の神性、重い責任に堪えているものの威厳と、大らかに赦してくれる父性、温かく懐に抱いて生きる糧(乳のような恵みを)を与え、身心の傷を包み込んで癒してくれる母性、これらの身に降りそそぐものに浴しながらここに生きる幸せ。

 

私たちが熱い心でこの山を仰ぎ、そして護ってゆくならば、訪れる都市住民の人々にも元気の源泉を享受して頂くことができ、人間の共生連帯を回復するひとつのよすがとなるものと思っております

 


◆紫尾山への想い              原田 紀史

 

出郷者が故郷への思いをはせるのは、ふるさとの山や川である。その心境は石川啄木の詩「ふるさとの山に向かいて云うことなし、ふるさとの山はありがたきかな」の気持ちと通ずるものがある。

 

その山も緑が失われつつあり、また川も汚染が進み、昔日の面影が薄らいできた。人工衛星により宇宙にあって初めて地球の全貌を見たソ連のガガーリンは、その時の感動を語ってこう言った。「地球は青かった」。この一語は私たちに地球がいかにかけがえのない美しいものであるかを実感させた。

 

最近北海道を訪れる機会があった。北海道は緑が深く実に美しいところだ。その原点はニングル伝説が言う「森が水を守り水が人を守る」の言い伝えは、現代人の自然破壊に対する警告と         <紫尾山の樹氷>

受け止めたい。                        紫尾山は清らかな水を生み出す「自然からの賜物」

 

私たちのふるさとにもガラッパ伝説がある。この言い伝えの精神もやはり自然保護の原点に通ずるものがある。いま私たちの周囲を見渡すと、生活の利便さという名目のもと、森が切られ、土地が開かれ、汚水を垂れ流し川が濁る。

私たち川上に住むものとして、紫尾山から滴るしずくを清いままに川下へ流してやる責任があるのではないか。